Interview: Yu Suzuki and Katsuhiro Harada (2016-12-26) by Denfaminico Gamer

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Language: Japanese
Original source: Denfaminico Gamer


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ワシントンD.C.の中心部に広大な敷地を持つ、スミソニアン博物館。そこには、世界で最初に動力飛行を実現したライト兄弟の飛行機、アポロ16号が持ち帰った月の石、あるいは持ち主が不幸になることで知られる「呪いのダイヤモンド」 まで、実に様々な人類の「宝」たちが収蔵されている。

 そこに1998年、日本人が開発した“とあるゲーム”が収蔵された。その名は――「バーチャファイター」。そして、この開発者こそが『アウトラン』や『スペースハリアー』などの「体感ゲーム」でセガを世界的企業に押し上げ、現在も欧米の開発者から高い評価を受ける、鈴木裕氏である。

 この連載では、日本のゲーム業界黎明期のクリエイターを取材してきた。だが、鈴木裕氏はその巨大な業績に比して、今ではあまり語られなくなった人物だ。日本ではその名前は、ドリームキャストの「シェンムー」シリーズの続報が聞こえなくなった頃を境に、ゲームファンの間から消えていった。
 ――だが、海外ではどうか。例えば、『シェンムー』は現在世界を席巻するAAAタイトルで主流の、オープンワールドの元祖として、欧米では『グランド・セフト・オート』の開発者を始めとして、リスペクトの声がやまない。海外のイベントに氏が出席した際の、ゲームファンの熱狂ぶりもしばしば報道されてくるし、『シェンムーIII』のクラウドファンディングに至っては即日200万ドルを達成して、ギネス世界記録に認定された。

 そして、日本でも鈴木裕氏へのリスペクトを常に口にしてきたのが、今回の鈴木裕氏との対談相手である、バンダイナムコエンターテインメントのゲームディレクター・原田勝弘氏だ。人気格闘ゲーム「鉄拳」や最近ではPS VRの『サマーレッスン』で有名な原田氏は、子供の頃に『アウトラン』や『スペースハリアー』などの「体感ゲーム」にハマり、「鉄拳」は長らく『バーチャファイター』を参考にしていたと語る。
 そんな原田氏は最近になって、VRという新しいテクノロジーでのゲーム開発に携わって、ゲームが確立していない場所からテクノロジーごと開拓していった、鈴木裕氏の凄まじさをあらためて認識したそうだ。しかも、鈴木裕氏の「体感ゲーム」はVRを先取りしたものだった、という不思議なことまで言う。一体、どういうことなのか。
 二人のクリエイターが世代を超えて、ゲームにおける「挑戦」を語り合った。

聞き手/稲葉ほたて、TAITAI
文/稲葉ほたて
カメラマン/佐々木秀二

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ゲーム業界にたまたまいてくれた天才

――いきなりですが、原田さんは鈴木裕というクリエイターをどんな風に見ているんでしょうか?

原田勝弘氏(以下、原田氏):
 そうですね……。僕、鈴木裕という人間ほど、「たまたまゲーム業界にいた人」っていないんだろうな、と思うんですよ(笑)。

一同:
 (笑)

――確かに、堀井雄二【※1】や宮本茂【※2】のようなゲーム業界の様々な進化の系統樹があるとして、裕さんはどんな系譜の人なんだろうと不思議になるんですよ。

※1 堀井雄二
1954年生まれのゲームデザイナー・作家。アーマープロジェクト代表取締役。「ドラゴンクエスト」シリーズ生みの親であり、『ポートピア連続殺人事件』や『いただきストリート』などのゲームを手掛けた。

※2 宮本茂
1952年生まれのゲームクリエイター。任天堂代表取締役クリエイティブフェロー。「スーパーマリオ」「ゼルダの伝説」「ドンキーコング」シリーズの生みの親として知られている。

原田氏:
 ご本人の前で言うのも妙な気分ですが、僕は「ゲーム業界にたまたまいてくれた天才」というふうに見てます。

鈴木裕氏(以下、鈴木氏):
 そうなんだ(笑)。

――それは、どういう意味なのでしょうか?

原田氏:
 例えば、宮本茂さんであれば、任天堂という研究費があれだけある場所で、徹底的に作品が良くなるまで叩いて作り上げるアーティストであり、作り込みを得意とするゲームの職人です。とても任天堂という場所にフィットした人だとも思います。
 でも、裕さんは違う。様々な思いつきや体験の中で生まれたものが、たまたまゲームとしてアウトプットされているだけでしょう。

――鈴木裕さんがゲームをプレイされないのは、非常に有名なお話ですよね。クリエイターとして感心したゲームはないのでしょうか。

鈴木氏:
 『モグラたたき』や『ワニワニパニック』は好きですよ。本当に楽しいし、家族を繋いでくれるでしょう。

原田氏:
 おお、我々のグループの会長【※】の作品じゃないですか。

※石川祝男
1955生まれ。株式会社バンダイナムコホールディングスの会長。代表作に『ワニワニパニック』など。

――さっそくデジタルゲームではないものが挙がってきました(笑)。

鈴木氏:
 あと、『トモダチコレクション』【※】はいいゲームだと思う。子供って、謝れない子が多いけれども、あのゲームで「ごめんなさい」に慣れちゃうと、きっと子供も言いやすくなる。そういうところがすごくいい。

※『トモダチコレクション』
2009年に任天堂より発売されたニンテンドーDS用ゲーム。プレイヤー自身や友人・知人のMiiを登録し、架空の島のマンションで生活するMiiたちの生活を観察したり、干渉して楽しむ。

原田氏:
 ……って、いきなり、めっちゃいい話になっちゃった!

 まあ、僕は裕さんのゲームにハマりすぎて、親に泣かれましたけどね! 財布から100円を拝借して怒られ、古銭コレクションを売って『アウトラン【※】』につぎ込む毎日。いやあもう、家族の仲を引き裂かれましたから!

鈴木氏:
 ええ、そうなんだ。ごめんよ(笑)。

原田氏:
 だって、僕がゲームにはまったのは、『ハングオン【※1】』ですもん。
 そして、『アウトラン』、『アフターバーナー【※2】』、『スペースハリアー【※3】』の3連発の衝撃ときたら。もう、僕はこれで完全に頭をやられました。学生時代の僕は無遅刻・無欠席・無早退で文武両道という非常に真面目な子供だったのに、生活指導の先生や親にはいつも怒られていたんです。「ゲームセンターに行くんじゃない」って。

※1『ハングオン』
1985年にセガ(後のセガ・インタラクティブ)から発売されたアーケードゲーム。セガの「体感ゲーム」第一弾で、GP500をモチーフにしたバイクに乗るレースゲームである。当時のレースゲームは敵車に接触すると爆発するものが主流だったのに対して、本作では敵車に接触してもバランスを崩し減速するのみで爆発はしない。

※2『アフターバーナー』
1987年に発売された、セガ(後のセガ・インタラクティブ)のアーケードゲーム。鈴木裕氏がデザインを担当した。

――それにしても、裕さんは、どういう経緯でゲームクリエイターを目指されたのでしょうか。セガに入社された1983年はやっとファミコンと『ゼビウス』が登場した年なので、世代的にゲームが原体験にないのは当然としても、ゲームをやらないのにセガに入社するのは珍しい気がします。

鈴木氏:
 セガは、当時からゲーム好きが集まってる会社だったからね。僕も大学時代、『ウルティマ【※1】』や『ウィザードリィ【※2】』をみんながプレイしてるのを後ろで見てはいたんだけど。
でも実は、セガを選んだ理由は、週休二日で、一番給料が高い会社だったから。

※『ウルティマ』
1981年にオリジン社から発売されたコンピューターRPG。『ウィザードリィ』と並び、コンピューターRPGゲームの草分け的作品であり、2Dフィールド型RPGの始祖である。

※『ウィザードリィ』
1981年にSir-Tech社から発売されたコンピューターRPG。『ウルティマ』と並び、後世のRPGに多大な影響を与えた。3Dダンジョン型RPGの始祖と言われる。

原田氏:
 きっちり休日は休みたかったんですね(笑)。

鈴木氏:
 同窓会の恰好の酒の肴は、上司の文句ばかりだと聞いていたし、会社が楽しいところになる確率が低いと思っていたんですよ。それなら土日で自分は趣味に生きたいなと思ってた。それがセガに入ってみると、肉体労働が仕事と思っていたのに、座っているだけで給料が出るし、おまけに研修期間には仕事を教えてくれる。仕事も楽しいし、気が付いたらセガの残業記録を塗り替える勢いで、ゲーム作りに没頭してた。

――(笑)。とはいえ、あの時代にプログラマを目指すのは、少し選択肢としては早いですよね。

鈴木氏:
 うーん……プログラマを目指した理由……。確か最初は学校の先生になりたかった。夏休みも冬休みもあるし(笑)。次に歯医者になりたかったのも、休日を自分の都合で取れそうだったから。

原田氏:
 とにかく休みたかったんですね(笑)。

――最近の若者の就職観みたいですよね。

鈴木氏:
 でも、歯医者も諦めた後は、ロックのギタリストになろうと思ったんだよ。でも、大学生のときに思ったより上達しなくて断念したの。その後、急きょ横文字の職業の中から将来性のありそうなものを探したら、プログラマが浮上してきて、それに決めたんです。

原田氏:
 ちょっと、裕さん! 振れ幅がとんでもないことになってますよ(笑)!

鈴木氏:
 ごめん、ごめん(笑)。まあ、音楽は好きだったんだ。ただ、どうしようかなと思って、ふと岩手のド田舎で、農協とか漁業みたいな職業しかない世界で、格好よく見えた「プログラマ」という言葉を思い出したんですね。そこで、建築学科のコンピュータグラフィックスの研究室の門を叩いてみたんです。

――うーむ、なかなか「遊び人」な、ふらふらした進路設計ですね(笑)。ただ、裕さんの場合も、ゲームに興味がなかったとは言え、やはりどこかでゲーム開発にモチベーションを高めた瞬間があったとは思うのですが……。

鈴木氏:
 たぶん、最初の上司の人が素晴らしかったんですね。僕が職場で居眠りしてて目を開けたら、「裕ちゃん、寝てたでしょ?」って言ったり。怒るわけでもなく、いつもあたたかく見てくれて……。

原田氏:
 仕事中に寝てたんですか!?

――だいぶ優しいですね……。

鈴木氏:
 もうね、「こんな僕に、こんな風に接してくれる人には、絶対に恩返ししなきゃ」と思いました。僕よりデキるプログラマも何人かいたんですが、いつも気にかけてくれたんです。
 しかも、その上司の人が「裕は面白いから、なんかやってみる?」と、当時はまだアーケードより規模が小さくて、失敗してもダメージが少なかったコンシューマーゲームを、SG-1000で任せてくれたんです。当時はプロジェクトリーダーなんて企画の人しかなれず、しかも7年くらい下積みをしないといけない時代だったから、思い切った抜擢だったと思います。

――コンシューマーと言っても、本当にまだ黎明期のお話ですよね。

原田氏:
 当時は、まだゲーム業界が職人さんたちの世界だったんですよね。

鈴木氏:
 それでSG-1000で『チャンピオンボクシング』【※】という初めてのゲームを作ったのですが、今となってはちょっと恥ずかしい(笑)。でも、チャンスをくれた上司の笑顔を見たい一心で、出来るだけの工夫をして作ったら、評判が良くて。それで今度はアーケードの筐体の中に入れてみたら、予想以上にインカムが良かった。その実績が認められて、『ハングオン』を作ることになりました。

――1985年に登場した、セガを世界的企業に押し上げていく「体感ゲーム」シリーズの第一作ですね。これは、会社からのオーダーだったんですか?

鈴木氏:
 いや、違います。「トーションバー【※】でねじり剛性を使ったゲームを作れないか」と持ち込みがあったんです。

※トーションバー
棒をねじったときの反発力を利用するバネの一種。

原田氏:
 もう、その入りかたがヤバいですね(笑)。いやあ、時代を感じるなあ……。

――『ハングオン』は持ち込み企画だったんですね。では、それにバイクの趣味を付け加えた感じですか?

鈴木氏:
 「トーションバーを使って、バイクの筐体を作ったらどうか」というくらいのシンプルな企画でした。だから、ゲームの中身については僕の企画です。
 ただ当初、トーションバーを使って試作機を作りましたが、バイクの傾きの中間を保つのが難しいので、断念し、押すタイプのスプリングに変更しました。使用するパーツも耐久性を考えて、最終的には実際のバイクのものを採用しました。

 もちろん、バイクも好きでした。当時はケニー・ロバーツやワイン・ガードナー、あるいはランディ・マモラみたいなレーサーがいっぱいいたんです。僕のお気に入りは、やはりフレディ・スペンサー【※】ですね。オンロード界のスターだったスペンサーと同じ乗り方をしたら、一番速くなるようにしたかった。普通のドライビングテクニックが、そのまま使えるゲームを作りたかったんです。

※フレディ・スペンサー
1961年生まれの、元モーターサイクル・レーシングライダー。1983年にはWGP500ccで最年少チャンピオンとなる。バイクを長い手足の下で自在に操り、コーナー終盤の立ち上がり加速を重視するライディング・スタイルが特徴とされる。ファーストラップから驚異的なタイムでライバルを引き離し、2位以下に大差をつけての独走優勝というレース展開が多かった。

原田氏:
 弊社の『リッジレーサー』【※】とは真逆の発想ですよね。その発想は実は凄くVRっぽいと思います。実際、昔のレースゲームは“障害物避けゲーム”みたいだったんです。本当に乗ってる感覚を味わえるゲームは『ハングオン』からでしたよね。

※『リッジレーサー』
1993年にナムコ(後のバンダイナムコゲームズ)からアーケードゲームとして稼働したレースゲームで、後にコンシューマーゲームや携帯ゲームにも移植されていった。高速のままコーナーを速度をほとんど落とさず派手なドリフト走行で曲がり切ったり、高低差により大きくジャンプしたりと、挙動や運転感覚のリアルさを度外視した爽快感重視のゲーム性が特徴。

鈴木氏:
 学生時代にゲームセンターに誘われるんですが、たまに行く僕みたいな人間が勝てるゲームがなかったんですよ。しかも、僕みたいな人間は比較対象が自分が持ってるクルマしかないから、「なんでこすっただけで爆発するんだろう……」って不思議で。

一同:
 (笑)

原田氏:
 当時はF1でも何でも、とにかくこすったら大爆発してましたからね。

鈴木氏:
 僕も本物のクルマで何回もこすってるけど、爆発したことはないな。それってリカバリーが効くわけで、よくあるゲームのように、ワンミスで「ハイ、終わり」とならないものがいいなと思ってました。

――普段はバイクが好きな人間からすれば、ゲーセンでそういう理由で負けるのには違和感があるでしょうね。

クルマに乗る優越感に注目した『アウトラン』

――鈴木裕という名前は、実はほとんどのゲーマーには『シェンムー』や『バーチャファイター』【※】で知られていると思うんです。でも、そこに至るまでのキャリアの長い時間、実はアーケード業界で、この『ハングオン』に始まる「体感ゲーム」で世界的に成功されてきたんですよね。

※『バーチャファイター』
セガ(後のセガ・インタラクティブ)が1993年に稼動した対戦型格闘ゲームで、シリーズ第一作目にあたる。当時、3DCGにおいてはまだ人型のスムーズなアクションさえ珍しかった状況で、2体の人型が格闘をくり広げる映像はみた人々の度肝を抜いた。

原田氏:
 そこは、裕さんを考える上で凄く大事なポイントだと思いますよ。
 先駆者のクリエイターの中でも一人だけ全く発想が違う気がするのは、もちろん裕さんの「ゲーマーとは違う目線」だとか、理系と文系の感性が同居するような部分もあるとは思うんですが、やはりアーケードに出自を持つのが大きいと思います。
 なにせ裕さんは「体感ゲーム」の世界で、「傾くバイク」というハードウェアのレベルからゲームをデザインしていたわけです。ましてや、あらかじめプラットフォームもツールもマーケットもある場所で、「さて、どこを狙おうか」と考える僕らの世代の開発者とは全く発想が違いますよね。

――あと、もう一つキーワードになるのが、「シミュレーション」ではないでしょうか。『バーチャ』も『シェンムー』もそうですし、「体感ゲーム」でも常に「本物っぽさ」が大事にされていますよね。

鈴木氏:
 ただ、シミュレーションには説得力がある反面、現実と違うと逃げ場がなくなります。「普通のこと」を表現するのが一番難しかったりするんです。

――「普通のこと」の実現ですか。ただ、「シミュレーション=ゲーム」ということにはなりませんよね。いきなり核心に迫る質問なのかもしれませんが、裕さんは一体、ゲームをどう捉えているのでしょうか?

原田氏:
 僕は、裕さんのそういう「本物っぽさ」へのこだわり方は、まさに現在のVR開発に繋がる発想だと思ってますよ。

鈴木氏:
 それ、いつも聞かれてます(笑)。「あなたはシミュレーションを作ってるの? ゲームを作ってるの?」って。
 でも、本当にシミュレーションしたのは『F355チャレンジ』【※】の一本だけですよ。他は全て真っ正面からゲームを作ってきました。僕のはシミュレーションに見せかけたゲームで、やっぱり純粋なシミュレーションではないんです。

※『F355チャレンジ』
1999年にセガ(後のセガ・インタラクティブ)が発売した、アーケード用の本格的なレーシングシミュレーター。2000年にはドリームキャスト版が発売された。なお、F355はプロデューサーを務めた鈴木裕自身の愛車でもある。

――……本当にそうなんですか?

鈴木氏:
 うん。そう思ってくれるのは思惑通り。
 だって、『ハングオン』の次に作った『アフターバーナー』なんて、敵機が正面から撃ってくるでしょ。でも、そもそも空vs.空で正面を向き合っているのなんて、本当は「最も安全な状態」です。ミサイルの相対速度を考えると、正面からミサイルを撃ちまくって、当たるわけない。

 じゃあ、僕がどういう風にプログラムを組んだのかというと――敵機が出現してからプレイヤーにロックオンしてもらうまで、敵機は後ろ向きに飛んでるんです(笑)。

――なるほど……!

鈴木氏:
 こんなのシミュレーションでも何でもない。まさに「ゲーム」です。

原田氏:
 はっはっは。「当ててくれ!」みたいな感じですね。

――確かに、プログラムのレベルまで踏み込んで、そう解説されると納得感があります。

鈴木氏:
 だいたい実際の戦闘では5機以上落としたらエースです。英雄ですね。『アフターバーナー』では軽く100機は撃墜しているし、無尽蔵にミサイルも出る(笑)。

原田氏:
 弾数からしておかしいですよね(笑)。
 裕さんのゲームの魅力に、確かに本物感のある作りはあるんです。でも、そこには実は「演出」があるんですよ。

――「演出」ですか。

原田氏:
 とにかく、プレイしている人間が格好よく見える「演出」が上手です。今の『アフターバーナー』の話もそうだし、『ハングオン』だって、あの周囲から聞こえる声と臨場感がいいんです。そして、ぐるぐるとバイクを画面上で回してみせると、凄くカッコよく避けてるように見える。
 だから、もう当時は近所のお兄ちゃんたちが、ゲーセンに自前のグローブをはめてきたんです。ブレーキのかけ方一つでもカチコチ格好よく握ってみせて、それに取り巻きのギャラリーが魅入るんですよ。

――確かに、そう聞くとゲームの面白さそのものですね。ドラクエで勇者になりきった気分でゲームをするように、もうバイクに跨がる瞬間からライダーになりきってしまうんですね。

原田氏:
 ええ、裕さんのゲームは「ゲームをしている」という気分になるどころじゃないんです。音楽まで含めてあらゆる演出が「俺が操縦しているんだ」という気分にさせてくれて、むしろ「ゲームをしていることを忘れるようなゲーム」なんです。だからこそ、冷静に考えると弾数がおかしくても、ちっとも違和感を覚えないんですね。

クルマに乗る「優越感」とは?

――今おっしゃった「演出」の話で思い出したのですが、『アフターバーナー』の前に出した『アウトラン』について、裕さんが言っていた言葉が面白かったんですよ。このゲームは自動車の「優越感」を大事にしたかったと言われていますよね。

鈴木氏:
 そうそう。
 そう思った理由はあって……いきなり話が飛ぶんだけど、僕はお正月に箱根駅伝を見ると、ちょっと気持ちが滅入るの。

原田氏:
 だいぶ飛びましたね!。

鈴木氏:
 あれを見てると、走り終わって倒れちゃう人がいるでしょ。アレで死んだら、親は浮かばれないよね。みんなのために命を懸けるのが日本人は大好きだけど、あくまでも“スポーツの範囲”でやって欲しいなと思う。
 だから、僕としては1等で倒れるくらいなら、余裕で2等を取ってヘラヘラしているやつの方が格好いい気がするんだ。このゲームの大元の発想は、ここにあるんです。

――なるほど(笑)。

原田氏:
 すごく裕さんっぽいですよね。

鈴木氏:
 まあ、でも一番格好いいのは、やっぱり余裕でヘラヘラしながら、ぶっちぎりの1位を取るやつなんだ。それで考えたのが、誰も買えないようなオープンカーの高級車に乗せること。そしてラジオをかけながら美人を横に乗っけて、片手運転をして余裕で1位を取るのが、もう最高に格好いいという感じで行くこと。
 当時からレースゲームはストイックに戦術を重ねてギリギリで1位を取るゲームが多かったけど、僕はそんなふうに「クルマを通じて得られる優越感」そのものを表現したかった。

原田氏:
 だって、もうその状況そのものが、走る前から勝ってますからね(笑)。
 いや、こういう着想が凄いんです。裕さんの「冷静さ」と「なまけ癖」みたいな性格と、同時に最先端のコンピュータ開発の技術の視点があって、それが自然体で開発に繋がってるんだと思うんですよ。

――先ほどから聞いていると、ゲームばかりやってるクリエイターが思いつくような、既存のレースゲームにとらわれる発想とは全く違う場所から考えていますね。

原田氏:
 やはり、裕さんの世代はゲームを入り口にして作ってないんだな、と痛感しますよね。その点、僕らの世代はもうゲームの企画となると、「ニーズはどこにあるんだ」「コンセプトを決めよう」みたいな話になりがちです。裕さんはもっと自然体でいろいろな要素が融合しながら開発を進めている気がします。

――こういう世代の違いでのゲームの捉え方は、やはり感じられますか?

原田氏:
 そりゃもう、僕らは団塊ジュニア世代で、ゲームは大きな娯楽ジャンルですもん。どんなゲームを作ろうが、既存のゲームの影響を受けていないわけないんです。実際、裕さんみたいに「過去のゲームを見て作ったんじゃない。自分の体験から見つけたんだ」と言えたら最高に格好いいのに、と思ってる40代くらいの開発者は多いと思いますよ。

 『鉄拳』【※】にしたって、『ストリートファイターII』(以下、『ストII』)と『バーチャ』があって、「さあ、自分たちはどこを目指そう?」という発想で作ってますからね。例えば、初期の『鉄拳』は『バーチャ』をメチャクチャ研究して作ったんですが、途中でこりゃ違うゲームで同じニーズを満たしても仕方ないじゃないか、と気付いたんですね。そこで、シリーズ開発途中で、駆け引きのポイントを『バーチャ』と比較して一気に減らしてみました。『バーチャ』は1回の勝負で10~15回は駆け引きの瞬間が来るんですが、僕らは当時2~3回程度、最高でも5回に減らしました。空中コンボの最中は駆け引きもない。それで『バーチャ』とは違う格ゲーの面白さを体験できる――そういう作品を目指したんです。

 それって、つまりは『バーチャ』から“あえて離れて”別の路線を狙ってみたんですけど、何かそういう動き方自体がもう裕さんとは対照的じゃないですか。結局、僕の世代になると、もう「ゲームが好きだからゲーム業界に来た」という人が多くなってしまうということなんです。

鈴木氏:
 ただ、僕はゲーマーじゃないけど、一応マーケットリサーチはやっていたんだよ。そもそもクルマ自体が、世界中の男の人共通のジャンルでしょ。僕のゲームが世界で受け入れられた理由は、テーマを世界共通のものにしていたからだと思う。好き勝手に作っているように見えるだろうけど、『ハングオン』だって、オフローダーの自分としてはパリ・ダカールラリー【※1】をやりたかったけど、人気があるオンロードのGP500【※2】で我慢したりね(笑)。

※パリ・ダカールラリー
1978年、ティエリー・サビーヌによって創始されたラリーレイド競技大会の一つで、「世界一過酷なモータースポーツ競技」とも言われている。コースによって名称が変化しており、現在は、日本語では「ダカール・ラリー」と呼ぶことが多い。

※GP500
ロードレース世界選手権(現在のMotoGP)の「500cc」クラスのこと。2001年までの53年間、バイクの世界選手権の最高峰を担った。

原田氏:
 さすがです(笑)!

鈴木氏:
 僕の世代でもセガはゲーム好きの集まりだったから、ゲームをしない僕は異質だったんですよ。料理人でも食べるのが好きな人と作るのが好きな人がいるように、僕はゲームを遊ぶのが好きな人ではなくて、作るのが好きな人なんだと思う。会社も、いろいろな人がいた方が面白いゲームが作れますね。

――そもそも、デジタルゲームを自分ではやらないだけで、裕さん自身はビリヤード、自動車、スキー、ワインなどの大人の遊びについては、超一級の遊び人であるのも有名ですよね。

鈴木氏:
 僕はビリヤードやクルマの方が、デジタルゲームより面白いんですよ。ゲームが嫌いではないんだけど、ゲームより面白いことがあるとは思ってる。

――それはリアルの遊びほどの「深み」が、デジタルゲームでは感じられないということでしょうか……?

鈴木氏:
 いや、そういう話ではないんです。それに作る側の視点で言うと、ゲームを深くするのは、簡単ですから。例えば、人間の記憶力には限界があるわけで、パラメーターを増やして8個くらいにすれば、すぐに「深み」なんて生まれちゃいます。

原田氏:
 そうなんですよね! そういうゲームを作るのは、本当に簡単なんです。「深み」の誤解なんですよね。

鈴木氏:
 『バーチャファイター3』のアンジュレーションなんて典型でしたね。僕らはあそこで斜めのステージを入れて、キャラクターの位置を高さで変えられるようにしたんですが、そうなると「真ん中に入るのは上かな」みたいに悩んで、普通のプレイヤーはもうその複雑さに判断が効かなくなっちゃう。
 それの何がマズいかというと、「判断できずに負けた」ことになるから、負けたときの納得感がないんです。ゲームを作るときには、負けた理由をシンプルにして、ハッキリさせていくのが大事なんです。すると「次はこうすればいい」と学習効果が生まれて、やる気も起きて、リプレイに繋がっていくんです。

――なるほど。アーケードの開発者らしい視点というか……。

鈴木氏:
 ゲームで本当に大切なのは「最高のバランス」にすることです。簡単すぎでもないし、難しすぎでもない、ちょうどいいバランス。これが難しいんですよ。

原田氏:
 アンジュレーションは、僕らも『鉄拳4』で入れてみた、というか計画ミスで入ってしまったんですが、おっしゃる通りでした。僕らもそういう長い試行錯誤の果てに、色々と要素を入れて奥深さを出そうとするより、間引いてみた方が面白くなることがあると気づいたんです。

「スノボ」タイプのゲームが理想?

――でも、そう考えると裕さんの考える理想のゲームって、どんなものなんですか?

鈴木氏:
 いつも、奥行き、リピート性、学習効果を考え、色々な努力をしてゲームを作るんです。でも、本当は「ただ触っているだけで楽しい」というゲームが作れたら、理想ですね。ずっとその楽しさだけで遊べてしまうような……。

――ゲーマーが好む「技の上達」での喜びみたいな部分とは、少し違いますよね。

鈴木氏:
 「スキー」タイプと「スノボ」タイプと呼んでるんですよ。
 僕は両方とも好きなんだけど、最近はスキーをやる人はあんまりいないのかな。スキーって、最初はボーゲンを覚えて、次はシュテムターンをやって、それが出来たらパラレルターン……というふうに、ステップがあるんですね。ボーゲンを覚えられなかったら、そこでおしまいなんです。

――ほとんどのデジタルゲームは、おそらく「スキー」タイプでしょうね。

鈴木氏:
 こういうゲームでは、「学習効果」が重要なんです。各ステップでの目標を明確にして、どこで失敗したかが分かるように作る。で、「10ゲームもプレイすれば、この面はクリアできるはずだろう」と計算するんですね。これはゲーム開発のとても大事な考え方で、僕も結局はそうやって「スキー」タイプのゲームばかり作ってきました。

 でも、これは僕の「理想」じゃないんです。本当はスノボみたいに、何回やっても「とにかく曲がってれば楽しいじゃん!」と思えるゲームを作りたいんですよ。スノボも「ターン」とか色々とあるんですけど、基本的にはスキーと違って次のステップに行かなくても、もうぐねぐね滑ってれば楽しい。サーフィンもそうですね。

原田氏:
 僕にとって、裕さんの『アウトラン』や『スペースハリアー』や『アフターバーナー』は、まさにそうでしたよ。当時は、遊園地のアトラクションみたいだと思ってました。そんなに上手くなくて、必ず同じ場所でゲームオーバーになってたけど、いつも並んで100円玉を入れてしまった。

鈴木氏:
 そうなんだ……。それでもやってくれたのは嬉しいねえ。

原田氏:
 これだけ語っておいて告白しますが、僕は『ハングオン』を最後までクリアできてないんです。クリアできるお兄ちゃんは町中の憧れでしたけど、逆に言えば、僕以外のほとんどの人間も、やっぱり最後までクリアできなかったということなんです。それなのに、誰でも楽しめる。それが裕さんのゲームの、凄いところなんですよ。


全てが型破りだった『バーチャファイター』

――ここから『バーチャファイター』のお話をさせていただければと思うんです。空前の大ヒットタイトルであり、セガのAM2研【※】と鈴木裕さんの名前を世界に知らしめたタイトルです。原田さんは当時、このゲームをどう見られていましたか?

※AM2研
かつて存在したセガ(後のセガゲームス)の開発子会社。1983年に設立された当時は、セガの「スタジオ128」を前身とする一部署であった。その後独立し、2001年に社名をSEGA-AM2と変更し、代表取締役には鈴木裕が就任。現在は再びセガに統合されたが、「AM2研」を表すヤシの木をモチーフにしたロゴマークは今なお使われ続けている。

原田氏:
 『バーチャ』の頃、僕は既にナムコに入社していたんですが、何が凄いってゲームをしない人まで急に遊び始めたところなんですよ。いきなりゲーセンにサラリーマンが増えて、それをギャラリーが眺めてるんです。

鈴木氏:
 よほど上司を殴りたくてガマンしている人たちがいたのかね(笑)。

――『バーチャ』は当時既に成熟していた2D格闘ゲーム市場のルールをリセットして、一世を風靡してしまった作品でした。反応が全く違いましたよね。

原田氏:
 しかも、2人が200円を入れて、回転率も高いでしょう。すぐにKOされますからね。

――この200円という通常の倍の価格設定や、KOまでの早さは、やはりアーケードでの回転率を意識されたんですか?

鈴木氏:
 ええ、大事なのは最高のインカムを達成することなんです。そうすれば、店舗で噂になって、注文がガンガン入るんです。開発者として、そういう部分はいつも考えてましたよ。

原田氏:
 アーケードのお客さんには2種類いて、エンドユーザーのプレイヤーの方々と、それを購入する店舗の方々なんですね。やっぱり儲からないと、店舗が導入してくれないので、ユーザーに届かない、そういう関係なんです。

鈴木氏:
 アーケードの開発は、時間で計算するんです。プレイ時間は平均2分40秒くらいで、乗り降りの時間を入れて実質3分がちょうどいい。ゲームセンターは朝10時~夜12時まで開いてるけど、開始直後と終了直前の2時間は人がいないので、実質的な営業時間は10時間。とすれば、3分のゲームが順調に600分回転し続ければ、MAX200ゲームまでいく。

原田氏:
 アーケード業界の計算法ですね。僕らも、やってます。

鈴木氏:
 うん。でも、1プレイ100円では、2人が対戦してもせいぜい1日4万円がMAXですよ。これでは話題になるには弱いから、僕は200円にしたんですね。3分以内で十分な満足感と疲労感、そして達成感と悔しさを与えて、もう一度200円を払うだけの価値があると思ってくれたら、やってくれるという自信があったんです。
 ただね……実は『バーチャ』の場合は記録達成がかかってたから、200円にせざるを得なかったんですね。価格は言えないのですがチップの値段が高くて、ある程度の店舗に置かれるのが必要だったんです。

――あっ、MODEL1【※】という当時は軍事産業が使っていたような基版を使われていたのですよね。通常のゲームのチップとは何桁も違う価格帯だったので、量産効果でコストを下げたと聞きました。

※MODEL1
1992年に、セガ(後のセガ・インタラクティブ)によって開発されたアーケードゲーム基板。セガが発売したポリゴンによる3D描画機能を搭載した基板としては最初期の製品となる。

鈴木氏:
 ええ。そうしたら、ロケテストで1日76000円の売上をたたき出して、注文が殺到しました。

――凄まじい数字ですね。ほとんどMAXの8万円に近い金額じゃないですか……。

鈴木氏:
 勝ち進んでいる人はフリープレイできるので、純粋に二人ずつはこなせないんです。だから、本当は8万円に近い数字にはならないはずなんですよ。そこは、どうも上手な人がどんどん瞬殺していく仕組みになっていたので、平均時間が、1分30秒を切っていたみたいなんですね。

『バーチャ』のボタンは数十個あった!?

――それにしても、そんなふうに「普通の人」を巻き込めた理由は、どこにあったのでしょうか。そもそも『バーチャ』は「操作系」も独特で、既存の格闘ゲームが『ストII』の方向性で煮詰まっていたときに、全く独自のシステムで登場してきましたよね。今もなお、格闘ゲームの操作システムの樹形図を描いたとき、『バーチャ』は独自の場所にあると思います。

鈴木氏:
 とりあえず格闘ゲームを作ることになったときに、まずはセガに掃除に来ていたおばちゃんや、事務方の人や、セガに見学に来た子供なんかを、テストプレイヤーに呼んだんです。

――その人たちは、もちろん当時の「格ゲー」好き……ではないんですよね。

鈴木氏:
 ええ、むしろゲームを知らない人を呼びました。
 そして、彼らにもうデタラメにレバーとボタンを押しまくってもらって、裏でデータ解析して押されているボタンの頻度を分析したんです。すると、ゲームが苦手な人間がデタラメに押したときに、どんなボタンが入力されやすいかが分かるんです。そのリストの上から、よく使用する技を当てていきました。

――それは……とてつもなく「科学的」というか。アーケードではよくある手法なんですか。

鈴木氏:
 僕は他のゲームなんてほとんど参考にしなかったから、他の人がどうしていたかは知らない。そうするのが一番いいと思っただけです。

――実は今回の準備で『バーチャ』をみんなでプレイしたときに、格闘ゲームが苦手なスタッフが「これ、なんかプレイしやすいぞ!」と言って、楽しく遊んでいたんです。

鈴木氏:
 実際、そうすればPとかP→Pとかによく使う技を当てて、P→Kとかはちょっと重要度の低い技を当てればいいとか、見えてくるんです。もちろんプレイヤーが覚えやすいように、Pにはパンチ系、Kにはキック系というように、ある程度法則性を持たせなきゃいけないし、意識して覚えて出せる「特殊ワザ」も入れるんです。
 ただ、基本的には苦手な人が、自分の気持ちのママに入力しても、遊べるゲームにしたかったんです。正確に難しいコマンドを入力しないと遊べないゲームなんてあまり良くないな、と思って。

原田氏:
 少なくとも、初期の『鉄拳』はそんな風に作られてませんでした。僕らは『鉄拳3』のときに、ある種『バーチャ』をリバースエンジニアリング【※】するようにして、そのやり方に気づいたんです。「鉄拳」の評価がぐんぐん上がったのは、その頃からです。

※リバースエンジニアリング
既存の製品を解析、分解して製品の仕組みや仕様を調べる行為。企業が旧製品や他社製品の互換製品を開発する際などに行われる。

鈴木氏:
 当時、僕も一応は『ストII』を参照してみたんですが、自分のスキルではどうにもならない(笑)。もっと、アバウトな入力はないかと……そのときにまず考えたのが、メチャクチャにボタンを多くするか、もっとボタンを少なくするか、ということね。結局、ボタンが少ない方のアイディアにしちゃったけど、今のスマホみたいなタッチパネルがあったら、また違ったかもしれない。

――ボタンが多い格闘ゲーム……。どういうことでしょうか? むしろ操作が複雑そうですが。

鈴木氏:
 あ、今パソコンに資料が入ってるから見せるね。

 このスライドにあるように、もうね、何十個もボタンがある。それで、向こうが右側から接近してきたら、もう掌でナイキのロゴのマークみたいに、ザーーーッと一気に右向きに押してしまう。そんな状況にふさわしいのは、そういう気分の動きじゃない?

一同:
 (笑)

――凄い発想ですね(笑)。まさに直感的なインターフェイス。

鈴木氏:
 まあ、ボタンが数十個というのは、メンテナンスなどのコスト的に無理だから断念したんだけどね。でも、ユーザーの気持ちを少しでも汲むというのは、そういうことでしょ? 人間が格闘しているときの気持ちって、「このボタンとこのボタンを押したらこのワザが出ることになっていて……」みたいなものじゃないと思う。

原田氏:
 いやあ、そうなんですけどね。実際、スマホのタッチパネルの操作は、まさにそういう発想ですからね。

ゲームの操作なんて面倒くさい

――それにしても、その後のゲーマー上がりの開発者たちと世代が違うからかもしれませんが、裕さんは苦手な人を巻き込むのを常に考えていますよね。

鈴木氏:
 だって、ゲームの操作なんて、めんどくさいですよ(笑)。

一同:
 (笑)

鈴木氏:
 これはおかしな話じゃないと思うよ。「右に曲がりたいなー」と思ったら、もう既に曲がってる方がいいでしょ?

原田氏:
 いや、そうなんですけども(笑)。

鈴木氏:
 いずれは脳波で検知して勝手に動いて欲しいし、きっとそうなると思いますよ。

 そういう意味では、『バーチャ』では操作にAIを入れることも検討したんです。入力からしかプレイヤーの気持ちを知ることが出来ないのは残念だけど、そこをAIによる解釈で埋められないかな、と思ったんですよ。50センチの距離の相手にパンチをするとき、40センチしか腕がなかったら現実には踏み込んで届くようにパンチをするでしょ。いきなり大ぶりな真っ直ぐな蹴りを出すのも、本当はおかしい。そんなの出すわけがない。その不自然さを、AIで調整したかったんです。

原田氏:
 それができれば、本当に最高ですよ。
 たぶん、今の裕さんの話を多くの開発者が分かるようになったのは、「オンライン対戦」以降でしょうね。「このときにこのボタン行動はあり得ないから無視しよう」と裏でやっておいて、あとで答え合わせをするんです。でも、これを当時考えているのは本当に凄まじいというか……。

 僕らもある時期になって、やっとそういう発想をするようになったんです。現在の「鉄拳」はある時期以降、先行入力【※】でヘンなジャンプパンチをしているコマンドなんかが意図せず入ったときは、フックが出て誤魔化せるようにしています。「ボタンを押す際の勢いの検出で、腕のリーチを埋めてあげたいよね」という話もしています。ただ、それを90年代のあの時期に、というのは早すぎてワケわかんないですね(笑)。

※先行入力
コマンドの入力受付時間の幅を利用して、技のコマンドを他の動作中もしくはその前にあらかじめ入力しておくこと。これにより前の動作が終わってからすぐに次の動作に移ることができる。

――鈴木裕さんのこういう時代を飛び越えた発想って、今までに何度も伝えられてきたけど、直に聞くとあらためて凄まじいですね。もう通常のゲームクリエイターの発想を飛び越えているというか。

原田氏:
 たぶん、裕さんの構想がたまたま既存のゲームに落とし込まれて表現されている、というのが正しいんでしょうね。僕のような40代世代の業界人でさえ、会社もマーケットもプラットフォームも入力デバイスも、ある程度が確立したところから始めてるところがあるので、ついそういう出来上がった場所からゲームを見てしまうんですが。

――ゲームクリエイターである前に、まず一人のコンピュータ技術者として常に大局的な視点から、正しい手順で判断を下しながら「未踏の地」の開拓を続けてきた、という印象です。

鈴木氏:
 僕は、コンピュータというのは、入力と出力があって、その間に計算の部分があるとしか捉えていないんです。
 計算の部分は、きっとどんどん処理能力は上がっていくでしょう。でも、ユーザーにとってインパクトが大きいのは、入力と出力の変化だと思います。出力は平面テレビから3D、VRと来て、やがてはホログラムだとかになるんでしょうね。そして入力はジョイスティックからマウスになったり、タッチパネルになっているけど、最後は脳波で動かせたら素晴らしいです。
 ゲームの入力は、結局「自分の気持ちをいかに汲んでくれるか」なんだと思います。入力装置の本質は、いつの日もそこにあります。

開発者みんなで拳法の練習は……真実だった!?

――では「出力」についてもお聞きしたいです。当時このゲームは異次元の3D表現で世界中を驚かせました。操作系もさることながら、まず多くの人が驚いたのは、初めて映像でなめらかな3D表現が操作できた衝撃にあったと思います。

原田氏:
 当時、ハリウッドの人間たちまで、「日本人はこのレベルの絵を、どうしてこんなに安く速く動かせているんだ」と驚いていましたからね。

鈴木氏:
 スミソニアン博物館は、『バーチャ』をCG技術の発展への貢献という観点で収録したのだと思いますね。

 ハリウッド映画と違って、ゲームは操作に応じたリアルタイムの処理が必要です。ところが人体のシミュレーションの最先端技術でも、当時は次のフレームの計算に数十秒もかかる状態です。『バーチャ』ほどの高速化は、軍事シミュレーションや大気圏に突入するロケットの進入角度プロセスの計算、あるいは原子炉の放射能漏れ対策のシャットダウンみたいなレベルの話でしか、まだ必要とされていなかったんです。
 ただ、それでも海外の方が3DCG研究は先行していました。当時の日本のプログラマはゲーム好きばかりで、三角関数も知らない人が多かったですね。

原田氏:
 そうですよね。だからCGが出てきた当初、数学が分かるプログラマが引っ張りだこになってましたよね。

鈴木氏:
 それに、まだ技術的にできないことだらけでねえ……。だって、目や眉毛を描くのさえ、全てポリゴンで割るしかなかったですから。
 しかも、当時のNO.1だった『ストII』は、あの定評ある素晴らしいグラフィックスでしょう。僕らが勝負できるのは、せいぜい「CGならではの正確な位置関係」と、「ペラのポリゴンでも恐ろしくなめらかに動くこと」――これくらいしかなくて、あとは全て負けるに決まってるんです。
 ところが、いくら作っても動きが良くならない。表現がチャチなのに、動きまで悪いとなると、もうどうしようもないですよ。そこで色々と考えた結果、どうも開発者が格闘技をやってないせいではないかと……。

原田氏:
 それで、かの有名な、『バーチャ』の開発者みんなで格闘技を練習した流れになったわけですね。

――『バーチャ』の開発者みんなで拳法の稽古をして、実際の格闘技の動きを身体にたたき込んでから、ゲーム開発を行ったという話ですよね。あれって、大山倍達【※】とか昔のプロレスラーの逸話とかと同じ類の都市伝説かと思ってたのですが……本当なんですか?

※大山倍達(おおやまますたつ)
1927年、日本統治下の朝鮮半島に生まれた武道家・空手家。国際空手道連盟総裁・極真会館館長。極真空手十段。

鈴木氏:
 うん、みんなで拳法の練習をして、僕のOKが出るまでコンピュータを触らせないことにしました。

一同:
 (笑)

鈴木氏:
 だって、「お前、俺にパンチを打ってみろ」と開発者に言ったら、あうあう言いながら、ヘロヘロの猫パンチを僕の胸に当ててくるような状態だったんだよ(苦笑)。それで本人はリアルなパンチと思っているから、よくなる訳がない!

 彼らは「『ストII』はワザが何十個もあるんです! そうでないと格闘ゲームにはなりません!」とか言ってたけど、「これからは一つの良いパンチ、良いキックが出るまで、他のモーションを作ることは禁止」という業務命令を出しました(笑)。

原田氏:
 凄いなあ。

――それで、もうみんなで拳法の稽古?

鈴木氏:
 ええ。でも、僕は昔からレースゲームの開発でロケハンをやっていたんですよ。それと同じです。

原田氏:
 以前に裕さんと話したときに「『アウトラン』でロケハンをしていた」と知って、びっくりしましたね。

鈴木氏:
 『キャノンボール』という、アメリカ東海岸のコネチカットから西海岸のロスまで5千キロくらい走るおバカなレース映画があって、あのノリをゲームに持ち込みたかったんです。「映画と同じコースを走るぞ!」なんて言いながら、たぶんゲーム業界では初めての大型取材を行ってみたんですよ。

――今ならロケハンは当たり前ですが、当時その発想は凄いですよね。『アウトラン』が出た86年って、家庭用ゲーム機で言えば、やっと初代の『ドラクエ』が出たくらいの年ですから。

鈴木氏:
 ただ、あの映画はアメリカの砂漠ばかりで景色が変わらない。そこで、ヨーロッパに変更してみたら、やはりヨーロッパは風景が変化に富んでいて、また違った面白さになりましたよね。

 こういう発想は3Dでも一緒です。『V.R. バーチャレーシング』【※】を作り始めたときも、どうもリアリティがない!
 そこで色々と調べてみると、道幅や、センターラインの間隔、車の大きさ、街灯の高さなどがいい加減で、チャチな印象になってしまう。そこで、僕は「東名高速道路に行って、あの白線とそのスキマが何メートルあるか測ってきてくれ!」とか「立っている街灯の高さと間隔を全て調べろ!」とか言ったんです。そうしてフェンスの高さまで徹底的に調べ尽くすと、どんどんその場所がそれっぽく見えてくるんですよ。

――なるほど……。

鈴木氏:
 でも彼ら、どうやって測ったんだろうね(笑)。
 そうやって『バーチャ』も、みんなで拳法の稽古をやってモデリングや動きを徹底的に作り直して、社内テストにかけてみたら、ある社員が「イテッ」と叫んだんですよ。僕はこれが嬉しくてね。ゲームをプレイしていて「痛い」という言葉が出るのは、かなり強い反応なんです。

原田氏:
 「これはイケるぞ」と思いますよね。何かを感じてもらえるところまで来た証ですね。

――そういうプレイヤーの反応も、しっかり観察されるんですね。

鈴木氏:
 よく僕はロケテストやフィールドテストのときも、そっとプレイヤーの表情を観察していたんです。『巨人の星』の明子さんみたいに物陰に隠れてね(笑)。

CGへの興味はキャリアの中で一貫していた

――それにしても、ご経歴を素朴に見ると、“リアル”筐体を活かした「体感ゲーム」を作られた方が、今度は“バーチャル”と名がつくジャンルに進出されたことになるわけですよね。ただ、先ほどのお話を聞くに、裕さんのCGへの興味は大学時代に遡るものですか?

鈴木氏:
 そうですね。

――年長世代のゲーム関係者の方には、ポケモンの石原さんやプレステの久夛良木健さんのように、早い段階で大学でCGに触れた人々の系譜があるように思います。裕さんの場合は、一体どういうモチベーションだったのですか?

鈴木氏:
 建築のコンピュータグラフィクスだったので、「平面図と側面図と立面図」みたいな三面図をデータで入力したら、3Dにして表示するというような研究をしてました。当時は3Dのライブラリもないし、そもそも面を塗りつぶす処理も負荷が高かったので、自分でプログラムを考えて線画で表示していたんですよ。

原田氏:
 そんな時代からやられているんですね。

鈴木氏:
 大学のコンピュータを2週間前に予約して1時間だけ借りる、という時代ですからね。ミスをすると、また2週間後にやり直し。さすがに嫌になって、PC-8000シリーズを買いましたけどね。ただ、それはそれで遅いので、自分で、アセンブリ【※1】でグラフィックスライブラリを書いて速度を上げて、なんとか隠面処理【※2】をやったりしてました。

※1 アセンブリ言語
プログラム可能な機器を動作させるための機械語を人間にわかりやすい形で記述した言語のこと。

※2 隠面処理
コンピューターグラフィックスにおいて、画面上に現れない(視点の陰になっている)部分を描画しない処理のこと。

原田氏:
 凄すぎる(笑)。僕らが子供の頃、ホームベーシックで一生懸命にプログラムを書こうとしていた時代のことですね。

――でも、当時のCGなんて表現力にも乏しいし、特に分野として魅力はない気もするのですが……。

鈴木氏:
 確かにプリミティブな絵だけど、奇妙に新鮮だったんですよ。三角や四角しかないんだけどね。
 ただ、手書きの絵のようなあやふやさがなくて、空間の中の位置関係が極めて正確なんです。その、ポイントポイントが全て正確な位置に来ている感じが、不思議なことに妙な力を秘めている。なぜか説得力のある、変わった手法の絵だと思ってました。風景画しか知らない人間が、初めてピカソの絵を見たときのようなショックだったのかもしれない。

原田氏:
 それはよくわかります。
 旅客機のコックピットから撮った夜景の写真で、滑走路の光だけの写真がありますよね。ああいうのって、自然の写真とは違う幾何学的な美しさを感じるんですよね。

鈴木氏:
 まあ、素っ気ないと言えば素っ気ない絵なんだけど。
 その後はAppleII【※】で16色になって、しかもドットの粗さを使って色をにじませて繋げる手法があったりしたから、そっちにも興味を持ちました。

※AppleII
1977年にアップル社が発表したパーソナルコンピューター。世界で初めて、個人向けに完成品として大量生産・大量販売されたパーソナルコンピュータの直接の先祖にあたる。

――とすると、やはり引き出しの奥にしまっていたCGの知識を、ここに来て引っ張り出してきたという感じですか?

鈴木氏:
 いや、そもそも最初の『チャンピオンボクシング』以外は、僕はずっと3DCGをやってたんですよ。だって、『ハングオン』にしても内部計算は全て3Dで、最終的にスプライト【※】で最も近い絵を出力していただけです。開発時にPC-8800やPC-9800シリーズでシミュレーションしていたときも、ずっと3Dで動かしてます。

※スプライト
コンピュータ上で動く図形を表現する際に、動かす図形と固定された背景とを別に作成し、ハードウェア上で合成することによって表示を高速化する手法のこと。

――ええ! そうなんですか。

鈴木氏:
 3Dの本質を簡単に言うと、「遠くのものが小さく見えて、手前のものが大きく見える」というのを、“わりと正確に”表現する手法なんですよ。『バーチャファイター』の前作の『V.R. バーチャレーシング』で初めてハードウェアの画面出力も3Dになっただけで、内部では「疑似3D」なものはずっとやってました。

原田氏:
 計算の際に座標を3DCGで計算して、それを画面に出すときに表現していなかっただけ、と。いや、そこは僕もプレイしながら、なんとなく感づいてましたが……なるほど。

――我々は『V.R. バーチャレーシング』、なによりそれに続く『バーチャファイター』で初めて3DCGに衝撃を受けたけど、開発時の内部データは一貫して3Dだったんですね。それにしても、裕さんは色々なジャンルを手がけてきたように見えて、非常に一貫した方針でゲームを制作されてきたように見えます。

鈴木氏:
 やりたいことは、常に頭の中に「理想」としてあるんです。でも、理想にはとても届かない。だから、とにかくそのときに可能な技術でやっていくんです。
 学生時代に3Dをかじってみたのもそうです。研究者の世界って、難しいことが出来るほど偉いでしょ。四角形を表現するより丸を表現する方が難しい。硬いものより柔らかいものを表現する方が難しい。そして関節は少ないよりも多い方が難しい。だから、僕は当時、「ウミウシ」を作るのが3Dの究極の目標だと思ってたんです。

――なるほど。

鈴木氏:
 なにせ軟体動物で、無脊椎動物だから関節がそもそもない。これは実に大変な表現ですよ(笑)。

 その後も、セガという会社の製品の範囲で、こういう興味はコツコツ進めてきました。まず僕が大学時代に専攻していた「建築」は家で、これはジョイントがないんです。そこで、次はクルマにしてみる。タイヤは4つジョイントがつくでしょう。でも、やっぱり人間を動かしたいじゃないですか。ですから、『V.R. バーチャレーシング』のピットワーク【※】のタイヤ交換や表彰式のシャンパンシャワーで、AIなしで人間の動きを試してみました。

※ピットワーク
レース途中にタイヤの交換など、チームの本部で車体のメンテナンスを行うこと。

原田氏:
 骨は入れてるんですか?

鈴木氏:
 ええ。人間はジョイントが17箇所あれば、ひとまずは動かせます。まずはデータ通りに動かすことで、処理時間や表現の範囲を確定して、次は人型でゲームを作れると確認しました。まあ、本当は3DCGが画面出力できたら、最初から人間をやりたかったんですよ。でも、まずは作り慣れたレースゲームで1回練習をして、開発の負荷を下げたんです。他の仕事もやりながら、進めていたし。

――そうやって、ステップを踏んで進めていく辺りは、まるで大学の研究者みたいですね。しかし、そこで格闘ゲームをいきなり作られるのは大変だったのではないかと……。

鈴木氏:
 いやいや、格闘ゲームを選んだのは、むしろ簡単だったからですよ。人間は17箇所のジョイントが必要だけど、格闘ゲームなら2体動かすだけで十分です。それくらいであれば大丈夫だと、わかったんですね。きっとサッカーなんて選んだら、11人もいるから無理だったでしょう。2体でも、もしムカデ同士の格闘技だったら、たぶん出来ませんね(笑)。

――まさに100個以上のジョイントが必要になるでしょうからね(笑)。

鈴木氏:
 ウミウシの場合はもっと難しいですよ。しかも、ウミウシの格闘技なんてマーケットもないから(笑)。

一同:
 (笑)


なぜ『シェンムー』は海外で人気なのか?

――では、家庭用ゲーム機のドリームキャストで出た『シェンムー』の話に入りたいです。今日は裕さんに『シェンムー』の企画書を持ってきていただいたんですよね。

鈴木氏:
 『シェンムー』はあまりにも膨大なので、何枚かだけなんですけどね。当時考えていた、“瓦割り”のイベントとかを持ってきました!

原田氏:
 おほっ! 『龍虎の拳』とか『ストリートファイター』のボーナスステージみたい。QTE【※】の絵コンテも、漫画的な絵でしっかり出来てるんですね。

※QTE
ゲーム内で画面に表示された特定のボタン・キーを入力をするイベントの一種。主にカットシーンやムービーの間で使用されることが多い。

鈴木氏:
 あと、『シェンムーIII』で出てくる新しいお城も持ってきたよ。

――え、Kickstarterで話題の最新版の企画書ですか!

原田氏:
 ちゃんと大きさまで設計されてるんですね。

鈴木氏:
 『シェンムー』は知り合いの一級建築士と一緒に、実際に住める部屋を作ってますから。

原田氏:
 すごーい。

――それにしても、今回のKickstarterで改めて認識しましたが、このゲームは海外での人気が素晴らしいですよね。

原田氏:
 南フランスのトゥールーズで開催されたゲームショーで、裕さんと二人で「バーチャ」と「鉄拳」のイベントをやったんです。そのあとにサイン会を開いたら、フランス人の男性も女性もみんな「シェンムー」ファンで、パッケージごと会場に持ってくるんです。しかも、女性のファンが多くて、もうキラキラしていて……。僕の方なんて男ばかりなのに……。

一同:
 (笑)

鈴木氏:
 ドリキャスを持って来てる人も何人かいましたね。
 8割が『シェンムー』で、1割が『バーチャ』で、残りが『アウトラン』や『スペースハリアー』だったかな。

原田氏:
 「これ、『シェンムー』のイベントかな?」って思ったくらいですよ。たぶん、あの人たちがKickstarterで投資【※】してるんでしょうね(笑)。みんなゲームのパッケージを持って来ていました。

――実のところ、日本ではあまり大きく売れた作品ではなかったと思うのですが、何が海外で高く評価されたのでしょうか。

鈴木氏:
 基本的に、僕のゲームはワールドワイドで売れました。幸いなことに(笑)。

 『アウトラン』や『スペースハリアー』の頃からそうで、それは僕が根幹に流れるコンセプトを常に世界共通のテーマに置いているからなんです。世界中の男性が興味を持つ乗り物として「自動車」を選んでおくとかね。そういう部分を外さないようにしておくのは大事なんです。
 『シェンムー』の場合は、ストーリーのコンセプトを世界的なテーマにしています。ハリウッド映画を見れば分かるんですが、世界中でヒットする物語は、愛・勇気・友情、そして家族愛なんですね。この物語の「父親を殺された息子が敵討ちに冒険をしていく」というプロットは、世界中の人が分かるものなんです。

 あと、世界観を色濃くするのも大事なんです。あえて東洋の世界観を見せることで、欧米の人が興味を持つこともあるんですね。伊丹十三さんの『お葬式』【※】なんて日本の風習や日常を徹底的に描いた映画だけど、正座でしびれた足の親指を組み替えるシーンなんかでは、世界中の人がクスッと笑うんです。

※『お葬式』
1984年公開の映画で、伊丹十三による初監督作品。これまで厳粛な儀式であったお葬式を初めて取り上げた作品で、初めてのお葬式に右往左往する家族と、周囲の人びとの姿をコミカルに描いた。

――なるほど。それで舞台を日本の横須賀に選ばれた?

鈴木氏:
 ええ。横須賀にはよく遊びに行ってましたから。
 ただ、当時からもう日本の文化は、韓国や中国と似てきてしまっていて、インパクトは弱かったんです。そこで、もっと古い時代の日本で、しかもギリギリ横須賀のおじいちゃんだとかにヒヤリングできる時代ということで、86年くらいに時代設定を置きました。

――企画の最初の部分で、本当にロジカルに勝ち筋を詰められているんですね。

鈴木氏:
 反応はなかなか予測出来ないですけどね。
 例えば、「主人公の涼が色々な人に道を聞いたあとに、“ありがとう”と言うのに感動しました」って声が外国であったんです。その国では、人にものを聞いても「ありがとう」と言わないんだって(笑)。

一同:
 (笑)

鈴木氏:
 文化の違いって、きっとそういう何気ないところにあるんです。宗教の強制だけはしないように気をつけてますけど、僕は色濃く文化を出して、統一感をもって遊ばせるようにしたい。当時はインターネットもなかったから、なおさら東洋の文化は珍しかったと思います。

原田氏:
 僕もそこは大きいと思います。このゲームは、欧米人には「違和感」のある世界観で、最先端のものが乗っかってきたバランスが面白かったんですよ。後のオープンワールド【※1】が、犯罪者を描いた『グランド・セフト・オート』【※2】みたいに、自分の欲望を吐き出すシビアな世界観にどうしてもいきがちでしたしね。

 つまりは『シェンムー』って、あの時代の日本人でしか作らなかったし、「作れなかった」ゲームなんだと思います。当時の日本のゲーム会社の資金力があって、最先端の開発現場で「エンジン」という概念がやっと出てきて、「さあ大規模なものを作れるぞ」という時代に、今で言う「オープンワールド」的な手法を全てやりきってしまったわけです。

※1 オープンワールド
プレイヤーに与えられる移動可能な空間が自由に開かれているゲーム設計のこと。

※2『グランド・セフト・オート』
Rockstar Gamesが発売したゲームシリーズで、オープンワールドの代名詞となっている。犯罪を中心にした内容が特徴で、全世界でシリーズ累計2億2,000万本以上を売り上げている。

――実際、『グランド・セフト・オート』など現在の数千万枚単位で売り上げる洋ゲーAAAタイトルの開発者たちは、『シェンムー』と鈴木裕さんへのリスペクトを口にしています。おそらく、今では日本よりも海外でこそ鈴木裕というゲームクリエイターの業績は語り継がれているように思うんです。

原田氏:
 欧米は、テクノロジーで最初の一歩を踏み出した人間を強くリスペクトする社会ですからね。

 そこは日本と欧米のゲーム開発で大きく差がついた理由の一つかもしれないです。だって、『バーチャ』の頃は海外の方がCG研究なんかは先行していたのが、ゲームの開発ではまさに裕さんのような方々がいたことで、日本は一瞬だけトップを走ったでしょう。ただ、その間に向こうでは、ハリウッドの人材を入れたり、膨大な投資で科学的に研究を推し進めたりしていて……最先端のテクノロジーを理解してるからこそ投資先がわかるし、わかっていた……。そして、今の差がついた状況があるんだと思います。

――もはやこの辺の分野は、日本のゲーム業界は「蚊帳の外」ですからね。まさに『シェンムー』の頃を境にして、ゲーム産業もどんどん「ガラパゴス化」が進んでいったのかもしれませんね……。

『シェンムー』の企画書が登場!

――その意味では、『シェンムー』は当時としてはあまりに時代の先を行きすぎた挑戦ですね。『バーチャ』までのお話もだいぶ凄まじかったですが、このゲームではもう裕さんの構想に、ほとんどの人がついて来れなかった印象があります。

鈴木氏:
 結局、当時は不完全にしかやれなかったですね。僕はこれを「シネマティック」なゲームと呼んで、色んな人に説明してみたんですが、誰も理解してくれませんでした。なにせセルキャラが動くのがやっとの時代でしたから……。

 僕も新しいことを常にやってきたから、なかなか理解してもらえないのは知ってるんです。でも、多人数での開発というのは、みんなに理解できる大義名分を大きく掲げて、イメージを共有しないといけないですからね。困ってしまいました。

原田氏:
 僕も当時VRを始めた頃、そんな感じでした。当時の裕さんの気持ちが、今の僕は少し分かる気がします。

鈴木氏:
 困ってしまって、テーマを表現した4部作の音楽を作曲してみたりして……でも伝わらなかったですね。

――それで理解するのは、確かに大変かもしれません(笑)。結局、どうされたんですか?

鈴木氏:
 シネマティックなゲームを実現するために、映画監督や演出家の人を呼んできたのですが、これも上手く行かないんです。ゲーム屋さんの言葉が、映画屋さんには全く伝わらなかった。

原田氏:
 ああ、そうでしょうね。

鈴木氏:
 しかも、映画の人たちの言うとおりに、モーション・キャプチャ【※1】のために倉庫に大道具を持ち込んでセットを作ったり、シェンファ【※2】と同じ服を作ったりすると、どんどんお金がかかっていくんです。専門の大道具や小道具を作るスタッフの人が全て作るものだから、大変なことになってしまって。僕らも、「こんなことする必要あるのかな?」と思うけど、初めてだから判断がつかないんです。実は、洋服は特にお金がかかったところでしたね。

※1 モーション・キャプチャ
現実の人物や物体の動きをデジタル的に記録する技術である。人間の動きをそのままゲームや映画のキャラクターに与えることができるのでよりリアルなアニメーションが可能となる。

※2 シェンファ
「シェンムー」のヒロイン。

原田氏:
 いやあ、そんなの今でもやらないですよ(笑)。

――コミケに行って裁縫が上手いレイヤーに頼んでいれば、という気がしました(笑)。

鈴木氏:
 結局、その人の言うとおりにやっても上手く行かなかったです。
 代わりに来た新しい人は素晴らしかったんだけど、彼は時間通りに来てくれない。仕方ないから、その人を急き立てる役の人を配置したり(苦笑)。

原田氏:
  うーん(苦笑)。ただ、こういう映画関係者や技術者を起用する手法は、アメリカのデベロッパーでは過去に大成功しているんです。特にハリウッドの才能が、FPS系ゲームのデベロッパーなんかに流れてきたところで、非常にゲームが良くなりましたから。裕さんは、ここでも時代を先取りしていたわけですね。

――そうですね。あと、今の話を聞きながら、日本が3Dゲームで北米に追い抜かれた要因として、映画産業の人材の差もあったのかな、とも思いました。歴史の「IF」ですが、たぶんアニメの庵野秀明【※1】さんやTVドラマの堤幸彦【※2】さんのような、他ジャンルでその後に映像産業を担った“本物の才能”たちと組んでいれば、また違った未来もあったのかな……と思ってしまいました。

※1 庵野秀明
1960年生まれのアニメーター、映画監督。株式会社カラー代表取締役。アニメーション監督としてオリジナルビデオアニメ『トップをねらえ!』やテレビアニメ『ふしぎの海のナディア』、『�新世紀エヴァンゲリオン』などを手がける。2016年にはゴジラシリーズ第29作『シン・ゴジラ』の脚本及び総監督を務めた。

※2 堤幸彦
1955年生まれの演出家、映画監督。オフィスクレッシェンド取締役。1980年にテレビ番組のディレクターとして映像制作の世界に入った後、『池袋ウエストゲートパーク』や『ケイゾク』、『TRICK』といった人気ドラマの演出を多数手がけ、その独特のユーモアと映像センスが当時の若者から好評を博す。その後、『20世紀少年』三部作や『SPEC』など、映画監督としてもヒット作を多数輩出した。

理想としていた「シネマティック」なゲームとは?

――それにしても、なぜそうまでして「映画的」なゲームを作ろうとしたのかが気になるんです。そもそも、裕さんは映画とゲームの関係をどうお考えですか。

鈴木氏:
 そうね……。
 以前スピルバーグさんが、マックス君という息子さんを連れてきたときに、僕に「サインをくれ」と言ったんです。信じがたい展開です(笑)。
 そのときに、スピルバーグってお茶目だと思いました――彼は僕の耳元まできて、「子供はゲームのほうが好きなんだよ、いつの日も」ってささやいたんです。マックス君は、どうも『バーチャ』のファンだったみたいなんです。

――裕さんにスピルバーグがサインをお願いしたというのは、そういう経緯だったんですね。

鈴木氏:
 親ってそういうものだよね(笑)。でも、この話にはもう一つの真理もあって、子供はやっぱり「映画よりゲームが好き」なんです。映画は一回観たら終わりだから、子供には退屈なんですよ。ゲームは繰り返せる上に、自分が参加できる。ゲームの最大の魅力は“インタラクティブ”にあるんです。

原田氏:
 ですよね!

鈴木氏:
 逆に映画の一番いいところは、むしろインタラクティブ“じゃない”ところかな。だから、どんなに疲れていても観れちゃう。映画の魅力は、ノンインタラクティブで、裾野が広く、敷居が低いところ。

――なるほど。

鈴木氏:
 ゲームは複雑で、だから面白いんだけど、代わりに娯楽としての幅は狭いです。映画はもっと単純で敷居が低いから、お客さんの層も広いですね。だから、ゲーム機が映画と見まごう映像を出せるようになって、どんなに両者が接近したように見えても、この二つは本質的に「似て非なるもの」です。その本質を間違えると、失敗してしまいますね。

原田氏:
 なるほど。いや、本当にその通りです。

鈴木氏:
 ちなみに、もっと敷居が低いのは音楽だよね。映像も要らないし、場所も限定されないし。だから、エンターテイメントでは、一番幅広く人気があるでしょう。

――しかも、最近の音楽のフェスなんて、映画館と違って好きなときに出て行っていいし、飲食してダベりながら観てもいいですからね。ただ、そういう視点を持つ裕さんが、なぜ「シネマティック」なんてコンセプトのゲームを作られたのですか?

鈴木氏:
 当時、映画のようなムービーが入っているゲームは出ていて、僕も一応参考に見てみたんですよ。
 でも、ハイクオリティなムービーとゲームの画面のクオリティがあまりに乖離していて、子供の頃に見た『巨人の星』で、実写の映像を作品の中にいきなり繋いだ瞬間を思い出してしまった(笑)。で、僕はこのギャップは違うなと思ったんですよ。混ぜるんじゃなくて、一つの統一した世界を作りたかったんです。その意味では、映画とゲームの「融合」を目指したのかもしれないです。

――そうお伺いすると、どうも当時の映画を志向したゲームクリエイターの人たちとは、一線を画す認識で作られているように思います。そもそも彼らが一本道のRPGやアクションADVを志向したのに対して、裕さんはオープンワールド的な方向性ですし。

鈴木氏:
 僕としては、『バーチャ』で3次元のゲームを作ったので、今度はもう1次元、変数を増やしてみたかったんです。

――どういうことでしょうか?

鈴木氏:
 2次元の絵にZ軸の奥行きを足すと、3Dになりますよね。そこに今度は、Tという時間軸を足してみたかったんです。今この場所にバッグが置いてあっても、1時間後には片付けられているかもしれない。青空だって、時間が経てば夕焼けに変わっていく。「存在」とは何かを真剣に問うていくと、時間の要素が欠かせないんです。

原田氏:
 それを当時やろうとしたのは、本当に凄いですよ(笑)。

鈴木氏:
 だから、僕はいつも「『シェンムー』でやり残したことは?」と聞かれたら、「本当はラーメンが出たら湯気が出てて、そのうち出なくなって、麺は伸びてほしかったんだよね」と言うんです。まあ、誰も分かってくれないんだけど。

一同:
 (笑)

――もはや哲学者ですね(笑)。でも、映画を志向したゲームというより、むしろ一連の3DCGの文脈から時間軸を足していく方向性で映画に接近したのだと聞くと、この作品から我々が受ける印象が、どうも色々と腑に落ちる気がします。

なぜコンシューマーゲームに乗り出したのか

――もう一つお伺いしたいのですが、アーケードでキャリアの大半をご活躍されてきて、最先端の開発現場を率いていた鈴木裕というクリエイターのチームが、どうして『シェンムー』で家庭用ゲーム機に乗り出したのでしょうか。

鈴木氏:
 あ、いや、『シェンムー』は普段の僕のチームでは作ってないんです。AM2研はアーケードを作りたい人たちの部隊なので、なるべく外部の人たちと傭兵部隊みたいな感じでやってみたのですが、最大時には300人もいて人材管理が大変でしたね……。なかなかクオリティも満たないし、バグも含めて、アクションリストが1万件を超えたこともありました。

――その上、自分のやりたいことが上手く伝わらない、と。確かに、当時の大変な状況がしのばれます。ただ、それでも鈴木裕ほどのアーケードの大成功者が家庭用ゲーム機に行ってみたかった理由は何だったのでしょうか。

原田氏:
 当時、みんな驚愕しましたもん。アーケード出身の人が、なぜこれを作るのか、と。

鈴木氏:
 アーケードの作り方は、コンデンスミルクのようなものなんです。リソースが限られた中で、一つのテーマをどんどん濃縮して、3分間にまとめるのが大事なんですね。逆に複数のテーマを入れると、薄まらざるを得ないんです。それではインカムが稼げません。
 でも、コンシューマーゲームは違うでしょ。買ったら、どんなにつまらなくても30分は遊んでくれるじゃないですか。

原田氏:
 そうですよね。

鈴木氏:
 僕らなんて、つまらなかったら30秒で捨てられる世界だから、「うらやましいな」と思ってたんです。一度、時間無制限での勝負に挑んでみたいな、と。だから、『シェンムー』では、RPGを選びました。長時間遊んでくれるゲームの代名詞で、そこに複数のテーマを深掘りする形で込めていける。僕がこれまで作ってきたのがマグロ単品の料理なら、魚介のコース料理を作ることが出来る。当時はアーケードの方が表現力は圧倒的に高くはあったけど、コンシューマーでRPGをやった方がメッセージも浸透させやすいと思いました。

――ちなみに、他のRPGは研究されたのですか?

鈴木氏:
 もちろん、全くやらないわけじゃないんですよ、そんなに長くは遊べないんですけど(苦笑)。それに、僕の中では『シェンムー』は、大学時代に研究室で見ていた『ウィザードリィ』や『ウルティマ』からの自分なりの正当の進化のつもりだったんです。

――先日、週刊少年マガジンのインタビューで、「ドラクエ」について、当時のそういうRPGから「日本人にウケる要素を厳選し、上手に再構成した作品だと思う」という内容をご発言されていたのを見ました。

鈴木氏:
 ええ。彼らは当時のRPGの面倒なところや厄介なところを上手に取り除いて、本当に面白い部分だけを抽出されています。でも、僕としては、オープンワールドかどうかはさておき、こういう『シェンムー』のような方向性の進化があり得るんじゃないかとは感じていたんです。

――その後のゲーム史を言うと、むしろ日本のRPGは国内でこそ巨大ジャンルにはなったものの、海外では苦戦していきました。その一方で、海外のゲームは明確にこの方向に向かい、今や桁違いのグローバルビジネスになっています。ただ、『シェンムー』そのものは日本での売上は決して芳しくはなかったですが……。

鈴木氏:
 たまに「『シェンムー』でセガが傾いた」なんて言う人もいるけど、『シェンムー』が出た年にも『バーチャファイター4』とかもリリースしているし、単体利益でもセガにプラスは出してると思うんだけど(笑)。
 僕は、1年たりともセガに対してマイナスをつくったことはないと思うな。

原田氏:
 そこ、もっと言っていいと思います(笑)。

鈴木氏:
 それに、セガの中で『シェンムー』の開発で得た資産やノウハウは生きていると思う。

原田氏:
 『龍が如く』なんかはそういう側面あるんじゃないか?と、みんなそう言ってますよね。

――まさに、名越さん【※】はAM2研のご出身ですものね。

※名越稔洋
1965年生まれのゲームクリエイター。1989年にセガ(後のセガゲームス)に入社し、『バーチャレーシング』『バーチャファイター』などの作品にCGデザイナーとして参加する。その後、プロデュース側に回り『デイトナUSA』「龍が如く」シリーズなどのヒット作を生み出す。現在は、株式会社セガゲームス取締役兼開発統括本部統括本部長、株式会社セガ・インタラクティブ取締役CCO兼開発生産統括本部統括本部長を兼任。

原田氏:
 『シェンムー』はスクラッチ【※】で作られたんですよね。ちょっとしたゲームエンジンを開発するようなものでしょう。

※スクラッチ開発
既存の製品や雛形などを流用せずに、まったくのゼロから開発すること。

鈴木氏:
 Unity【※1】とかUnreal Engine【※2】を作るようなものでしたね。これが完成すれば、その後のセガのゲーム開発が飛躍的に楽になるはずでした。さすがに、途中で中断してしまいましたけど。

※1 Unity
ユニティ・テクノロジーズが開発したゲームエンジンの一種。ウェブプラグイン、デスクトッププラットフォーム、ゲーム機、携帯機器向けのコンピュータゲームを開発するために用いられており、100万人以上の開発者が利用している。

※2 Unreal Engine
Epic Gamesが開発したゲームエンジンの一種。高レベルの移植性が特徴。


ディレクターになるのに「資格」が必要だった時代

原田氏:
 それにしても、今日は本当に勉強になりますね。

鈴木氏:
 そう? よかった。

原田氏:
 いや、実は僕は今日の裕さんのお話を聞きながら、「ああ、まさに僕たちが今、直面している問題じゃないか!」と思ったんです。

――それは、もしかしてVRのお話ですか?

鈴木氏:
 ああ、僕は今日、ぜひ原田さんに『サマーレッスン』【※】について聞きたいと思って来たんだよね。

原田氏:
 ここに来て僕は「自分の原点は、裕さんが作った“体感ゲーム”だった」と日々認識してますからね。さっきの「普通の運転」で最も速くなるように作る話とか、VRそのものでしょう。実際、取材でも、「あなたのVR原体験は?」と聞かれて、僕は常に「『スペースハリアー』と『アフターバーナー』です」と答えているんです。

 ただ、そういう話以上に、僕たち後発世代のクリエイターは、初めて裕さんたちが何もない場所から挑んできた気持ちが、VR開発でやっと理解できるようになりだしたように思うんです。今日何度も話してきたように、裕さんたちがゲーム産業を生み出して会社を立ち上げてきた世代なら、僕たちは裕さんたちの作ったお手本を引き継いで、商業的に大きくしていくのが使命だった世代です。

――ゲーム業界を成熟産業にしていった世代とも言えるかと思います。いや、最初に聞いたお話で、ゲーム開発者の「世代差」が気になったんですよ。

原田氏:
 僕は、もうゲームが子供時代の原体験にある感じですからね。飼っていたペットが来た日とか、スポーツの大会で優勝した瞬間とか、そういう子供時代の思い出と同じくらい大事なモノとして、裕さんの『アウトラン』のロケテストに並んだ記憶がありますから。

――やはり原田さんは裕さんと好対照ですよね。確か、入社は裕さんの入社から10年近く経ってからですよね。

原田氏:
 もう当時の僕たちの前には、裕さんたちの世代が作ったゲームが沢山あったんです。だから、僕なんて色んな凄いゲームを遊びながら、「きっと俺は作る側じゃない。遊ぶ側でいいんだ」と思って、ゲーム会社に営業で入社していったんです。ゲームをタダで遊びながら暮らしたかった(笑)

鈴木氏:
 でも、開発者になったんだよね。

原田氏:
 営業職で入ったら、ナムコはタダでゲームするのが禁止だったんですよ!

一同:
 (笑)

原田氏:
 そこで「開発現場ならゲームやり放題だぞ」と聞いたのは、大きなキッカケだったと思いますね(笑)。営業の売上記録を出して、社長賞を貰ったことでワガママを言って開発に回してもらい、ゲームデザイナーになりました。でも、僕はプログラムなんて組めなくて、絵が多少は好きなくらいしか特技がない。
 だから、僕はユーザーイベントを盛り上げたりしつつ、とにかくお客さんの意見を聞きました。さらにはアンケートを数値化して統計を取ったりして、それをユーザー調査の成果だというのは隠しながら、自分のアイディアとして周囲に「このアイデアは間違いない、なので僕の言うとおりにしてください」と伝えたりして、信頼を得ていったんです。

――原田さんは、ユーザーとコミュニケーションしていく時代の空気にも合っていた気がします。

原田氏:
 ちょうどユーザーニーズからゲームを作る発想が業界に入ってきた時期で、ファンコミュニティを考えていく流れも生まれてきて、だんだん会社で頼られていったんです。本当に、裕さんとは全然ルーツが違いますよね。

――でも、さっき少し気になったのですが、当時はセガも企画職しかディレクターになれなかったんですか。

原田氏:
 僕も気になりました。ナムコはまさにそういう会社で、僕なんかは開発に回してもらったら、もう入社2年目でいきなりディレクターで、ベテランの人に指示を出してたんです。企画職がとにかく強い職場でした。だから、僕は『バーチャ』のときに裕さんなんかを見ながら、「セガってプログラマがディレクターになれる会社なんだ、凄いなあ」と思っていたものですが。

鈴木氏:
 いや、それは僕がエンジニアもディレクターが出来ると証明するために、頑張ったんだよ。だって、作るものが面白ければ、誰がディレクターをやってもいいはずでしょ。

原田氏:
 本当に、そのとおりです。結局、僕が入社してから10年くらいかかって、「誰がディレクターになってもいい」というのは業界内で当然の発想になりましたけどね。

鈴木氏:
 でもね、当時は僕が頑張っても、今度は「企画職とプログラマしかディレクターになれない」となっただけでしたね。そこで、僕は当時AM2研でデザイナーをしていた名越を呼んで、「デザイナーでもディレクターになれるんだと証明してくれ」と言ったんです。

――その結果が『龍が如く』に繋がっていくわけですね。デザイナーからディレクターになっていく流れも、その後の定番のルートになりましたよね。

VRにはこれまでのゲームの常識が通用しない

原田氏:
 話を戻すと、VRも最初はそういう「第二世代」っぽい視点で見ていたんです。つまり「鉄拳」というIP【※】を展開していく中で、VRでキャラクターへの愛着をもっと湧かせて、ビジネスに繋げられないかな、と。
 例えば、食事をしているシーンを見せると、そのキャラに愛着が湧くという話があるんです。これはジブリのアニメなんかが上手なのですが、それをVRでやったらイケるんじゃないか……みたいに思ってたんです。ところが、初めてOculus Riftを装着したとき、「これはマズいぞ!」と思いました。僕の知っている手法が使えない! と。

※IP
知的財産権。Intellectual property の略。

――なぜでしょうか?

原田氏:
 「カメラが100%プレイヤーの側に奪われてる」ことに気づいたんです。

 その意味は、凄く重いんです。特に僕らの世代は、3Dゲームの開発をしてきたので、カメラを用いた演出をずっと発展させてきたんです。FPSでさえ、普段はプレイヤーにカメラを持たせていても、結局は演出カメラでもってプレイヤーに見せたいものを見せているし、強制カメラで見せる事ができる。制作するときも絵コンテを描いて、「ここからこうやって光を当てると格好良く見えるぞ」なんて言いながら、やるんです。
 ところが、VRではカメラがプレイヤーの自由に委ねられてしまった。その瞬間に、長らくゲーム業界が当然のことにしていた技術が大きく崩れてしまった――そして、初めてクリエイティブの壁に僕たちの世代がぶつかってしまったんです。

鈴木氏:
 ふふふ。でも、楽しいでしょ。

原田氏:
 いや、本当にそうです。ことポリゴンゲームとなれば大抵のことについて僕は「ああ、それを実現したければ、こういう風に作れば、こういう効果が出るから」とか偉そうな事を現場に言えたんですが、これが初のVR開発となると、もう何も言えなくなったという(笑)。俺の人生は何だったんだ、と。

 『サマーレッスン』を作り始めるじゃないですか。3Dだったらカメラで見たいものを見せるだけだけど、VRはキョロキョロとユーザーが首を動かすし、その場にいるプレゼンス(存在感)の感覚もこれまでのゲームとは大きく違う。
 なぜかこれまで「ポリゴンの部屋」を作っても違和感を感じなかったのが、VRの世界ではそのポリゴン部屋が全く部屋に見えないんですね。なぜだ?!?! ――となって、その違和感を調べていくと、「あれ!この部屋には蛍光灯がないぞ」です(笑)。

――(笑)。

原田氏:
 ちゃんと蛍光灯を付けたら、急に部屋に見えだすんです。そして、エアコンにダクトを着けて、コンセントを差してみると、もっともっと部屋に見えだす。でも、女の子の部屋には見えないんですね。それで、デザイナーに文句を言ったら、「女の子の部屋を見たことありません!」と返されて、「バカヤロー」と(笑)。で、女性のデザイナーに作らせると、自分の部屋を参考にして、ぬいぐるみをたくさん置きだしたりして、「おお、これは女の子の部屋だ……」となるわけですよ。従来のゲーム作りではなかった現象です。

――そこはVRの問題というか、大変に「鉄拳」チームらしいイイ話かもしれませんね(笑)。

原田氏:
 でも、普段いかに僕たちがリアルの風景を見ているようで、実際には情報量を間引いて認識していたり、意識的ないし無意識に見ていない、ということには衝撃を受けました。

鈴木氏:
 うんうん、そうでしょ。

原田氏:
 他にも、VRのキャラクターは目線を合わせるとリアリティが出るはずだと仮説は持ってましたが、実際にそれをまんまやると、なんか腹が立つんですよ。だって、人間は確かに目を合わせてくるけど、そんなにずっと、じっとは見ないでしょう。

――ガンつけられてるみたいですよね(笑)。

原田氏:
 適度に目線をそらしたりしている方が、自然なんですね。もうね、記号的な表現が通用しないんです。アクションゲームなんかは、キャラ同士が眼を離さないけど。
 キャラクターが喜んでるときに記号的に「ワーイ」とさせても、全然ダメです。眉毛や目がこうなったときに、初めて人間は喜んでると認識するんだ、と自分たちで見つけなきゃいけなかった。記号化されたゲームつくりのノウハウだけでやっていけないのは辛かったですね。

 音だってそうで、僕はゲームサウンドについては大抵の回答は持ってるつもりだったんです。「コインを入れる音は認識できるこういう音で鳴らせ」「このゲームは、15秒以内でサビが来るような曲に設計しておいて」とかね。でも、VR上で部屋に入ったというのを、どういう形で表現すればいいですかね?と聞かれたときに――僕は、何も回答がなかった。
 それで、試行錯誤の挙げ句にサウンドデザイナーが見つけてきたのが、画面がまだ暗いうちから最初の3秒間だけ部屋の外にある環境音を大きめに鳴らすという手法です。本当はそんなに大きく聞こえるはずのない、屋外の電車の踏切や雑踏の音をあえて大きめに流すんです。

鈴木氏:
 なるほどね。

原田氏:
 人間って、音だけで脳が自分が置かれている状況をこんなに瞬時に把握・分析できるんだ、ということに気付きました。常に「何をもって我々は部屋を部屋と認識しているのか」とか「何をもって我々は人間を人間として認識しているのか」みたいなことを問い返さなければ、現実を模したVRは作れないんですね。
 こういうことに、日々悩んで「サマーレッスン」作ってました。そうしたら今日、裕さんの話を聞いていると、僕たちがまさに手探りで見つけていった過程で体験したような話がどんどん出てくるじゃないですか。

――初めて裕さんが『バーチャレーシング』で3Dに挑まれたとき、「ちゃんと外に行って、見てこい」と部下を叱ったことだとかなんて、まさに今の話みたいなものですよね。

原田氏:
 ええ。ゲームでロケハンなんて当時ならエキセントリックな行動と思われてたかもしれないけど、今となってはある程度のゲーム開発規模になったら取材なんて当たり前でしょう。
 そして僕たちのチームも、開発者の男同士で「よし、お前は女の子な」なんて言いながら近くに座り合って、もじもじしながら、どういう風に人間が動作し、リアクションするのかを確かめてましたからね。なかなか見るに堪えない光景でしたが(苦笑)。

――それも『バーチャ』で、格闘技を知らない開発者に対して、裕さんが拳法の稽古をさせた話そのものですね。こう聞くと、体感ゲームのロケハンの話や、3DCGでの『バーチャ』の格闘技の話は、ちっともエキセントリックな笑い話ではないですね。むしろ、未踏の新しい技術に挑戦する人間が当然やるべきことを、ただ裕さんはやっていただけだった……。

原田氏:
 僕たちの世代は、もうユーザーニーズなんて調べればいくらでも分かるし、既に発売されているゲームのリバースエンジニアリングもいくらでも出来るんです。でも、恥ずかしながら、僕は40代になって初めて「他のゲームを研究しても参考にならない」というのを目の当たりにしたんですね。この年になって、20代や30代の連中にどうすれば良いか質問されて、言葉に詰まることがこんなにあるとは思いませんでした。「これまでの開発ナレッジが通じない、これはどうしたものか」という気分でしたね。

鈴木氏:
 「普通」のことを実現するのが一番難しい。そうだったでしょ?

原田氏:
 いや、まさにその通りです。部屋を部屋だと「違和感なく普通」に思わせることが、いかに難しかったか……。

――今日、何度も裕さんの口から飛び出したその言葉が、原田さんのVR開発秘話を聞いたあとだと、とてつもなく重く響きます。

原田氏:
 でも悲しいことに、誰も『サマーレッスン』の部屋のことは褒めてくれないんですよ(笑)。なぜなら「違和感なく普通」に感じているわけだから。

一同:
 (笑)

原田氏:
 逆に部屋を認識するための情報が欠落して、光景に違和感が出ていたらそれこそ難癖がついたでしょうからね。どんなによく作っても、「自然で普通」が最高なので、なかなか報われませんね。

鈴木氏:
 でもね、「普通」ができると、そこに乗っけるものが生きるんだよ。「普通」が出来ているからこそ、良いアイディアが浮かび上がってくるんですよ。

原田氏:
 本当にそうですね。

AIが変えるゲームの「インタラクティビティ」

――ちなみに、せっかくなので今後のテクノロジー動向について、鈴木裕さんのお話を聞いてみたいです。

鈴木氏:
 一応、僕は第一次のVRブームには関わってるんですよ。そもそも当時はバーチャルってつけると話題になる時代だったから、『バーチャレーシング』とか『バーチャファイター』と名付けたの。「ル」がないのは、商標の問題ね(笑)。
 一応、ジョイポリス【※】なんかでテストプレイもしてみたんだけど、アーケードではサニタリー(衛生)の問題があったんです。つまり、脂ぎったおじさんの使ったあとに女性がつけるのかという……。映画なら使い捨ての眼鏡でいいんだけどね。

※ジョイポリス
株式会社セガ・ライブクリエイションが運営するアミューズメントパーク(2017年1月1日付で香港企業に売却予定)。お台場、梅田、岡山の三ヶ所で運営されている。

原田氏:
 おっしゃる通りです! 実はそれがアーケードにおける、最初の障害なんですよ。僕らもお台場のVR施設でまずつまずきました。しかも、20分以上装着しているとレンズが曇るでしょう。僕としては、コックピット内でヘッドマウントディスプレイを装着するという世界観のゲームにしてしまって、という部分を逆に利用して、装着感を逆に没入感に活かす方法を導入したりしてましたが。

鈴木氏:
 でも、技術の進化やノウハウが追いついてきたよね。等身大のキャラクターが迫るリアリティは、精度が上がるとドキッとするでしょう。『サマーレッスン』のアリソン(2015年のE3デモ版)【※】は、よくできてます。顔にしても髪にしても絶妙な割り方をしているな、と思いました。ただ、今のVRは、ワイヤレスじゃないのが残念です。

原田氏:
 この間、電話が来ましたもんね。「あなたの『サマーレッスン』に感銘を受けました。また飲みましょうね」と。

――ちなみに、VR以外にも研究されているものはありますか?

鈴木氏:
 最近の技術だと、AIにも興味がありますよ。AIの発展は本当に大きくゲームを変えるはずです。リアルの遊びだって、楽しくなりそうでしょう。AIのクルマとかに、「はい、右やめて左」とか命令したら楽しそうじゃないですか(笑)。

原田氏:
  僕も、AIはエンターテイメントを大きく変えていくと思います。周囲のAIがドラマを演じてくれるなら、もうMMO【※】なんかは人間とのマルチプレイとか要らなくなるというか、人間と遊ぶのは古い、なんて時代になると思いますもん。AIが人間社会的かつそれ以上ドラマチックに誘導していってくれた方が、すぐにゲームの世界に戻りたくなると思います。

※MMO
「Massively multiplayer online」の略。大人数のユーザーが同時に同じサーバーにログインし、同じ空間を共有して遊ぶタイプのオンラインゲーム。

――確かに、そもそも『シェンムー』と今のオープンワールドの違いにしても、実はAIの有無は大きいでしょうしね。

鈴木氏:
 AIがゲームを大きく発展させるのは、ほぼ間違いないでしょうね。
 というのも、デジタルゲームは「グラフィックス」「音」「インタラクティビティ」が三大要素なんです。でも、かつてのようにグラフィックスの進化がそのまま魅力に直結することはないでしょう。リアリティの追求には、もうさほど大きな差別化要素はないですから。ここは昔との違いですね。

原田氏:
 そうです。全員がゲームグラフィックをフォトリアルを目指す、という時代ではなくなり、選択の幅は広がったので、何を選択するか?という時代です。

鈴木氏:
 そして、サウンドもPCM【※】でCDレベルのことが出来てしまう。そうなると、他のメディアとの差別化要素はインタラクティビティになるんです。これこそAIが得意な部分でしょう。

※PCM
パルス符号変調。「Pulse code modulation」の略。音声や映像などのアナログ信号をデジタルデータに変換し、数値化すること。圧縮処理を行わないため音質劣化がない。

――それにしても、最先端の技術動向を今でも押さえられていて、現役で開発を続けられている中で、このタイミングで『シェンムーIII』を手がける理由は何なのでしょうか。

原田氏:
 そこは僕も聞きたいです。

鈴木氏:
 毎年「『シェンムーIII』をいつ作るのか?」と世界中で言われ続けてるんです。
 中には「小説や漫画でもいいから続けてくれ」という涙ぐましい声まであって(笑)、僕もさすがに考え込んだんですよ。で、このまま世の中に『シェンムー』の続編が全く出ないよりは、何かあった方がいいんじゃないかとある時期から考えるようになったんですね。
 そこで、10億円で可能なこと、5億円で可能なこと、というように何種類かのバジェット(予算案)で企画書を書いていたところに、クラウドファンディングを教えてくれる人が出てきた!

――なるほど。まさにファンの声が文字通り、突き動かしたんですね。

鈴木氏:
 それを教えてくれたのが、『シェンムー』を27回だかクリアしているという海外の方で、『シェンムー』で日本語を覚えたという人なんですね。しかも、日本で彼女を作ったんだけど、その彼女の名前がヒロインと同じで、おじいちゃんの名前も同じなんですね。それで運命を感じて、プロポーズしたという……。

原田氏:
 めちゃめちゃその人の人生に影響与えてますね(笑)。

鈴木氏:
 さすがにあの重厚長大なゲームの続編としての責任は取れないけど、今出来る『シェンムー』をこの人たちに届けようと思ったんです。
 今はもう、自分よりずっと若い世代が第一線で活躍している時代でしょ。そういう中で、58歳になっても、Kickstarterでこういうチャンスが巡ってくる自分は本当に幸せだし、いつもどおり来たものを全力でやるだけだと思ってるんです。本当に、15年間も応援しながら待っていただいた、ファンの人たちのお陰ですね。

「やっちゃえよ」

――そろそろ終わりの時間なのですが、原田さんは今日のお話を聞いて、どうでしたか?

原田氏:
 昔から、鈴木裕という人を紛う方なき「天才」だと思ってきたんです。今日はさらにその印象を深めたのですが、一つだけ印象を修正されたことがあって、想像以上に理詰めで作られていたことなんですよ。『アウトラン』のコンセプト作りに見られるような文系的な感性と同時に、マーケットやゲームを分析的に捉える理系的な知性と、何よりもテクノロジーへの深い理解がある。それは本当に裕さんの凄さだと思います。

 しかも、テクノロジーのイノベーションの中で、裕さんが最先端の現場で節目節目に行ってきたことが、今の自分にはとても納得がいくんです。ああ、この人はこんな風に作ってこられたから、人々の記憶に残るゲームを残せたんだな、と。

――裕さんにも、今日は夜遅くまでだいぶ話していただいてしまいましたが、最後にぜひ若い世代のクリエイターに何かメッセージをいただければと、今日のお話を聞きながら思いました。

鈴木氏:
 うーん、でも上手く行ってるクリエイターの人には、特に言うことはないな。アドバイスなんて要らないよね?

 ただ、そうね……僕は全盛期に世界のトップシェアを取っていた日本が、こんなふうに海外に負けてしまったことが、やっぱり悔しいんですよ。だって、セガが全盛期の頃、僕たちは圧倒的な世界一のゲーム大国だったんです。
 じゃあ、なんで負けてしまったか。やっぱり経済的な評価ばかりをするようになって、チャレンジしなくなっちゃったからだと思うんですよ。

原田氏:
 おっしゃる通りです! ちょっと耳が痛いですが……。建前はともかく、事業の評価軸だけが強く残った感はありますね。

鈴木氏:
 今はシリーズものが増えちゃいましたよね。でも、チャレンジをしないことには、先がないですよ。
 ちゃんと新しい武器を製造しないとダメです。だって、良い武器があったら、色々なツールを工夫したりして、少人数でも勝てるんですよ。日本人は、いつの間にか新しいことにチャレンジする力が弱くなってしまったね。

原田氏:
 まさに裕さんたち、先人の皆さんの築き上げた成果のお陰で、この業界は収益手段が安定してしまったんですよ。つまり一大事業化したので、昔のように「ここは賭けに出るしかない!」みたいな時代・状況ではないんです。だから、リスクヘッジに長けた人材は育ってるけど、チャレンジを評価する風潮は弱いですね。「どんどんチャレンジして、どんどん失敗しよう!」というのはどの業界でも聞く言葉ですが、実際にはチャレンジだったものが失敗すると評価は大幅に下がるし二度と浮き上がれないケースもある。逆にある程度安定した事業で結果的に利益が高かったものは「チャレンジだったことになる」という後追い結果論みたいなことも多い。90年代のチャレンジと失敗の連続、そこから生まれる大成功みたいな空気も少しは取り戻さないと……とは思いますね。まあ青臭いと言われそうですが(笑)。

鈴木氏:
 だから、次の世代には紙に書かれた仕様通りに作るんじゃなくて、どんどんチャレンジする訓練をして欲しいです。「失敗は成功のための土台」なんですから。

 だから、若い世代には「あんまり考えるな」と言いたいな(笑)。

 ――「やっちゃえよ」って。失敗してもいいから、どんどんやるんです。どんどんやれば、先が開けていくんですよ。本当に。

編集部&原田氏:
 今日は本当に貴重な話をありがとうございました。

 今回の取材で鈴木裕氏の話を聞いて強く感じたのは、彼がコンピュータサイエンスの最先端と常に歩みを合わせながら、その時代ならではのエンターテイメントを提供してきたことだ。そのテクノロジーへの理解の深さは、VR一つとっても同席した原田氏が驚くほどであった。

 ゲームの企画書の第一回目で、遠藤雅伸氏は海外のゲームクリエイターは技術主導でゲームを作っていく「テクノロジードリブン」、日本のゲームクリエイターはコンセプト主導でゲームを作っていく「コンセプトドリブン」と分析していた。鈴木裕氏ご本人は、取材の中で「技術だけでもコンセプトだけでも、いいものは出来ない。両方が大事だ」と強調されていたものの、やはり氏のテクノロジーからゲームを構想していくセンスには、日本人離れした壮大な才能があったと感じざるを得ない。
 その一方で、鈴木氏が『バーチャ』のために開発者に格闘技を修行させた逸話などが、単なる偉人伝の誇張エピソードではなかったのも面白い。それはむしろ最先端のエンターテイメントに挑戦する人間として、ロジカルに選択されたものだった。氏の逸話や言葉には、当時は素っ頓狂に見えても、時を経ると当然の話だったと気づかされるものが、あまりに多い。

 氏がインタビューの最後に寂しげに語ったように、日本のゲーム産業が世界のゲーム市場から取り残されて久しい。その一方で、海外の第一線で活躍する開発者こそが、今も鈴木裕をリスペクトしている。鈴木裕という才能を、日本人は本当に評価できていたのだろうか? ――今回のインタビューを終えて、鈴木氏と原田氏を見送ったあと、夜更けに編集部では、そんな会話が交わされていた。

 その意味で今回、対談相手を務めた原田氏が挑んでいるVRは、まさに最先端のテクノロジーへのチャレンジがそのままエンターテイメントになる状況だ。久々に日本が悪くないポジションにいるジャンルでもある。
 鈴木氏は対談の最後、若いクリエイターに「やっちゃえよ」と投げかけた。果たして、日本から再び世界を揺るがすエンターテイメントが山のように飛び出してくる日々は来るのだろうか? 期待しながら、その日を待っていたい。