Interview: Hirofumi Murasaki (2002-04-17) by Sega.jp

From Sega Retro

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This is an unaltered copy of an interview of Hirofumi Murasaki, for use as a primary source on Sega Retro. Please do not edit the contents below.
Language: Japanese
Original source: Sega.jp: Creators Note


セガのゲームを作る、あんな人、こんな人。

どんな人が、どんなことを考えて、セガのゲームは生まれるのか?

それぞれのクリエイターが持つ“こだわり”や“発想”、開発中に起きるエピソードなど、普段はなかなか聞けないことを、直接会って聞いてみよう! というこのコーナー。

今回は、古くから数多くセガのゲーム音楽を手がけるサウンドクリエイター、ウェーブマスターのスポーツ大好きオヤジ、村崎 弘史 氏の登場です。


村崎 弘史(むらさき・ひろふみ)

(株)ウェーブマスター プロデューサー

1962年生まれ AB型

■主な経歴

サウンドクリエイターとしてメガドライブ時代から数多くの作品を手がけ、『サクラ大戦』シリーズ、『ビクトリーゴール』シリーズなどのサウンドディレクションを担当。

また、セガ・アメフトクラブのヘッドコーチをきっかけに、日本版『2K』シリーズでは、ネットワーク調整・マニュアル監修・販促手伝いなどを幅広く手がけ、最新作PS2版『NFL 2K2』『NBA 2K2』ではプロデューサーを務める。

—— 村崎さんには、サウンドクリエーターとしての顔、プロデューサーとしての顔、アメフトのヘッドコーチとしての顔と、たくさんの顔がありますね。
 そこで今回のインタビューは、「現在の村崎さんが出来あがるまで」といったテーマで、小さな頃から村崎さんが触れてきた音楽とスポーツの話題を中心に追っていきたいなと思っています。


では、まず最初の質問です。大雑把で申し訳ないんですが、はじめて音楽に触れたときって、いつですか?(笑)

村崎■音楽にはじめて触れたのは、胎教で聞いていたグレンミラーとか、昔で言うビッグバンドジャズみたいなものだったみたいです。もちろん自分では覚えてないんですが(笑)。

その後、幼稚園のときにヤマハ音楽教室に通ってオルガンを習い始めて、年長から小4くらいまではピアノをやってました。

—— やはり、かなり早くから音楽をやっているんですね。
 その頃から将来は音楽がやりたい、といった夢はあったんですか?

村崎■俺のその頃の夢っていうのが、
「西武鉄道に入って電車の運転手をしながらアイスホッケーをやる!」 …電車とか好きだったので(笑)。

小学校のとき、札幌に住んでいて1972年の札幌オリンピックをリアルタイムで見たんです。ジャンプの笠谷が金メダルとったのも間近で見ました。
 そういう影響もあったのか、当時の少年の夢っていうのは、野球選手になりたいっていうより、アイスホッケーとかジャンプの選手っていうのが多かったんです。

—— 音楽だけじゃなく、アイスホッケーも、電車も…。けっこうなんでも好きだったんですね(笑)。

村崎■野球も好きでした(笑)。
 小学校のとき、札幌から東京に転校になったんですが、そのとき野球を始めたんです。大のタイガースファンだったので!

当時は巨人のV9時代でタイガースは2位に甘んじていたんです。どうしても優勝できないタイガースを俺が優勝させるんだという思いで少年野球をやっていました。
 なにせピアノも小4でやめ、野球に専念していたほどでしたから(笑)。

—— ちなみにポジションはどこですか?

村崎■ポジションはキャッチャーですね。

話は脱線しますが、転校の多かった俺にとって役立ったのがキャッチャーミットとマスクなんですよ。これは持ってるやつがいない(笑)。

友人>「野球やるんだけど、お前、どこやるの?」
村崎>「キャッチャー」
友人>「ミット持ってるの?」
村崎>「持ってる」
友人>「マスク持ってるの?」
村崎>「持ってる」
友人>「すぐ来い!」

……という感じで(笑)、外せない転校生アイテムだったですね。

村崎■中2のときだったかな? ビートルズが結成されて25周年とかで、東芝EMIがキャンペーンをやったんです。

俺はビートルズっていう名前は知ってても『LET IT BE』くらいしか知らなかったのね。そうしたら友人がLP貸してくれたんですよ、青盤っていうベスト盤を。
 それを聴いて「ウワッ、スゲー」って思ったのが、もう一度音楽にゆり戻されて、バンドやりたいと思ったきっかけ。

野球は続けていたけど、みんなで集まってビートルズやろうよっていう話になったんです。

—— バンドを結成するんですね。

村崎■それで集まってみて、楽器どうすんだ?って話になったんだけど、「俺はとりあえずギター弾くんだ」って、みんなギター、ギター、ギター、ギター。みんなギター志望(笑)。

で、楽器持ってないの俺だけだったんで、俺もギター欲しいなって思ってたら、友人が「ギター売ったるわ」って。

村崎>「え、うそ、いくらで?」
友人>「9000円でいいよ、ハードケースつきで」
村崎>「あ、そら安い! 今度持ってきて!」

で、持ってきてもらって、ハードケースをパカッって開けてみたら、なんと弦が4本しかないんですよ。
 何かが違うと思って「これ何これ!?」って言ったら、「だから、ベースギターだ!」と。 ……ま、それでとりあえず納得しまして(笑)、初日は一生懸命コード押さえる練習しました。

それで、次の日に友人がベースの教則本を持ってきてくれたんですね。読んでみると、“ベースとは基本的に単音楽器である”って書いてあるんです。
 何かが違うと思って「おい何だよ、これ!?」って言ったら、「だから、ポール・マッカートニーがやってるやつだよ!」と。 ……じゃ、いいかって納得しまして(笑)、そこからベースが本格的に始まったんです。

村崎■高校のときは福岡だったんですが、野球部がなかったもんで、いろいろ考えたすえにラグビー部に入りました。
 サッカーも迷ったんですが、これは中学からやってるうまい連中がいるだろうからレギュラーは取れんぞ、と考えたわけです。ラグビーは高校からみんないっしょのスタートだぞ、と(笑)。
 でも、練習が厳しくてねぇ。1年で20人入ったんですが、厳しいわ、痛いわ、汚いわでどんどんやめていって、3年のときには同級は4人しか残っていませんでした。

—— ラグビーですか。本当にいろいろとやっていますねぇ。
 それじゃ、高校時代はラグビーやりながら音楽は続けているんですか?

村崎■そうです。

文化祭が秋にあるんですが、俺がバンドやりたがってるっていう情報をどっかから聞きつけて、ある日、ぜんぜん知らない連中に囲まれたんですよ。

連中>「お前、ボーカルできるや?」
村崎>「できっじぇ」
連中>「ほんとや!」
村崎>「お前ら、なんばやっと?」
連中>「パープルとツェッペリンたい」
村崎>「なんやそれ!?」

…実は俺、ディープパープルもレッドツェッペリンも知らなかったんです(笑)。

村崎>「わしゃ、ビートルズしか知らんけのぅ」
連中>「ま、そりゃそれでええわ。LP貸すけん」

…で、聴いてみたら、これがまたかっこいい。
 今では誰でも弾ける速弾きとかありますけど、当時アレを聴いたときは正直ぶっ飛びましたね。「オイ、世の中にこんなもんがあったんだ!」って(笑)。

あ、それから高校のとき、クラスはいっしょじゃなかったけど、同じ学年に『愛は勝つ』のKANがいたんですよ。
 なかなかに面白い人間で、3年の最後に1度だけライブをいっしょにやりました。『ホテルカリフォルニア』とかビリージョエルとか……(笑)。 

—— 大学に入ったらサークル活動とかあるわけですが、村崎さんはどんなサークルを選んだんですか?

村崎■高校ではラグビー3年やってしんどかったんで、大学入ったら軽音か何か入ってチンタラやろうと思ってたんですね。
 で、キャンパス行ったら新入生の勧誘とかやってるじゃないですか、サークルとか部が。校門から入ったらフットボールのヘルメットがダーって並んでるんですよ。うわ、かっこいいって思わずそっちに近づいていったんですね。

先輩>「君、高校のとき何かやってたの?」
村崎>「ラグビーやってました」
先輩>「あ、そう。これに名前書いて」
村崎>「はい」

…それでアメフト選手の一丁あがりですよ(笑)。

—— 今度はアメリカンフットボールですね。これまたハードな。
 まさか音楽活動も続けているんですか?

村崎■もちろんやってました(笑)。
 あの頃、フュージョンがすごくはやってて、カシオペアとかスクウェアが出てきた頃で楽器の技術を競うみたいなところがすごくあった。そこでチョッパーベースとかがポピュラーになってきて、僕もご多分にもれず練習していました。

実はその頃は、童話作家とか、もの書きになろうと思ってたのに、いつのまにやらバンドでプロを目指すことになった。
		
		
		 ポプコン(*1)にテープ送ってみたり、イーストウェスト(*2)というバンドコンテストに行ったりね。

マツダの主催するカレッジサウンドコンテスト(*3)というのでは、渋谷公会堂の決勝戦まで残って演奏しました。あれは気持ちよかったね。優勝はできなかったけど。

—— 村崎さんはベースですか?

村崎■そう。で、ボーカルがかなりハデな“お姉ちゃん”だったのね。
 なかなか弾けた“お姉ちゃん”で、マドンナが好きだったから下着で出たり、当時としては行き過ぎてたかな(笑)。

大学は5年かかって卒業した後、プロになろうと思っていたので、音楽の理論、技術、アレンジを学ばねばダメだろうということで、音楽専門学校行って、山下達郎さんのバックでベース弾いてる伊藤広規さんのクラスに入ったりね。
 でも、ちょっと色が合わなかったのと、ジャズも本格的にやりたいなと思っていたので、井野信義さんというジャズベーシストのクラスに入ってジャズベースを一から叩き込んでもらったんです。

—— え? 大学を卒業した後にですか?

村崎■うん。

バブルの時代だったので弁当屋でバイトしながら、企業や地方の村おこしのイベント行ったりしてベース弾いたり、ビデオに曲つけたりといった仕事もしながら、新宿と六本木にあった「Pit Inn」(*4)目指してがんばっていたんですね。

—— 「Pit Inn」を目指していた村崎さんが、どういった経緯でゲーム業界に足を踏み入れることになるんですか?

村崎■念願かなって「Pit Inn」には月1で朝の部に出られるようになっていたんですが、「Pit Inn」の移転にともなって朝の部がなくなってしまい、俺らの出番がなくなってしまったんです。

同時に、ちょうど弁当屋も喧嘩してやめてしまっていて、ああどうしようとアルバイト情報誌ながめていたら、セガの外注会社だったサントスがサウンドスタッフを募集していたんです。
 速攻で電話して、91年の5月から曲を作る仕事を始めました。

コンピューターはあまり触ったことはなくて、はじめは戸惑ったけど、毎日こうやって曲を作って金をくれるんだから、こんなにラクショーな商売はないなって(笑)。

—— サントスでは、どんな曲を作ったんですか?

村崎■ここでやったのは、メガドライブの『JuJu伝説』の音楽。
 アーケード版の曲をコピーして、メガドライブ用にアレンジしてかきました。ただ、エンディングのスタッフロールの曲だけは俺のオリジナルです。ちょっとジャズっぽい曲になってて、今聴いてみるとちょっとこっぱずかしいんですが(笑)。

—— 他にはどんなのを作ったんですか?

村崎■それだけです。

91年の12月に、サントスがセガ100%出資子会社のメガソフトという会社になり、メガドライブの『ザ・スーパー忍II』 (以下『忍II』) と『あぁ播磨灘』の作曲をしました。あとは『ソニック2』のコンバートとかもやりました。

—— 『忍II』は、前作『ザ・スーパー忍』の音楽が古代裕三さん(*1)だったじゃないですか。プレッシャーとかなかったんですか?

村崎■それが実は、古代裕三さんをその時知らなかったんですよ(笑)。
 それに『忍II』のディレクターだった伊藤さん(現・オーバーワークス/元・メガソフト)が懐の深い方で、「このシーンに合わないね、じゃ作り直し」っていうやり方じゃなくて、他のシーンで合わせて使ってくれるんですよ。だから気持ち的には楽だったかも。

—— 『あぁ播磨灘』の「播磨体操第一」(*2)は、セガコン(*3)にも収録された人気曲ですが(笑)、あの曲はどのような経緯で生まれたのですか?

村崎■力士のモーションをエディットするときに、開発機材、えーと当時はスーパーターゲットって呼んでたっけな…、企画がいちいちプログラマーの手をわずらわせないでモーションをつなげることのできるツールがあったんです。
 それをいじってるうちに「これ、ラジオ体操みたいだな」って話になって、「裏モードでつけよう」となったわけですね。それで力士風の声もいっぱい録っていたので、それを使って俺がラップを作りました(笑)。振り付けはプログラマーがラップに合わせてつけてくれて。

でも、なんであんなに反響大きいんだろう(笑)。


…で、92年の11月、女房といっしょに九州の友達の結婚式に出席しているあいだにメガソフトがセガに吸収合併されまして、私もセガにお世話になることになったわけです。

—— なるほど。

村崎■セガでは最初にメガドライブの『パーティクイズ MEGA Q』をやりました。これは音楽やって効果音やって、アイデアもいっぱい出しました。
 これは面白かった! 1万本も売れたし。推定だけどね(笑)。PSで出してくれないかな? PS2じゃなくていいから(笑)。


—— そろそろサターンの頃の話をしましょう。

村崎■そうだね。

サターンの『クロックワークナイト ペパルーチョの大冒険』は、設定がアメリカの片田舎だったんで、ディキシー系とか、やぼったいジャズ系でいいだろう、と。

—— このなかの「ララバイ」(*4)もセガコンに収録されてますね。

村崎■「ララバイ」は、うちのガキンチョ(娘)が生まれて半年たった頃に作ったもので、いちおう彼女に対する子守唄なんです。
 本当は、「ララバイ for miss K」と、娘の名前のイニシャルKを盛り込んでタイトルつけてたんですが、それはあんまりだということで取られちゃいました(笑)。

—— いいお話なんですけどね(笑)。

村崎■そんな、いいじゃんなぁ、そんくらい!
 だって、なぁ、ジョージハリスンだって、ポール・マッカートニーだって、自分の彼女に曲作って、それを売ってるんだし…。

—— それは世界のポールですから…。

村崎■う、ぐぬぬぬ…。

—— でも、「ララバイ」はいい曲ですよ!

村崎■うむ。


それから、サターンでは『エヴァンゲリオン 2nd Impression』や『サクラ大戦』シリーズ、『ビクトリーゴール』シリーズのサウンドディレクションもやってます。
 これは曲は作らなかったけど、ディレクターみたいな形ですね。

いろんな人とお仕事をしましたが、(声優の)宮村優子さんや氷上恭子さんが阪神ファンだというのを聞いてですね、セガタイガースファンクラブ、略して“セ虎会(せこかい)”の名誉会員第1号2号になっていただいたりしました。

—— それは職権濫用です(笑)。

—— 『NFL 2K』シリーズは、最初から監修などをしていますよね?

村崎■ええ。
 ドリームキャストで『NFL 2K』のベータ版が出る頃、フットボールやってるっていうのを周りが知ってたので、俺が“BIBLE”という付録の解説本やプロモーションのお手伝いをすることになったんです。

それで『NFL 2K1』になったとき、当時のプロデューサーがやめてしまったので、すべて俺のところにきた(笑)。

—— なるほど。

村崎■初のPS2ソフトになった『NFL 2K2』なんですが、もともと出来自体はいいソフトだったんで、今回はどれくらいパワーアップできるかなと思っていたんですよ。

これはね、見てるだけじゃもったいないです(笑)。
 確かに、オフェンスラインとかディフェンスラインのブロッキングのモーションとか、見てるだけでも素晴らしいですけど。

これは選手にもヘッドコーチにもオーナーにもなることができるし、とにかくさわってみてほしい!
 フットボールのルールを覚えたい人からマニアまで幅広く遊んでほしいなと思います。同時に8人までプレーできますので(笑)。

—— 1チームを8人でプレーすることもできるんですか?

村崎■できます。
 もちろんひとり1チームずつ操作することもできますし、11人中8人をプレイヤーが操作することもできますよ。

顔はポリゴンが細かいぶん緻密になって、発色もテレビ中継に近いようなリアルな感じになったんですね。
 ボタンもR2とL2トリガーがあるので、操作も少し楽になったかな?

—— フットボールって何だろうって思ってる人に触れてもらいたいですね。

村崎■うんうん。

フットボールは危険なスポーツだけど、ゲームだと怪我しないからね。
 まずは、これでルールをしっかり覚えて、実際に体を動かしてみたくなったらウチ(サンダーボルト)に来てほしいな、と(笑)。

 	最後に

—— ところで、村崎さんはウェーブマスターでは、どんな存在なんですか?

村崎■オヤジです。

—— …。

村崎■バカ殿でいうと、じい。

—— ……。

村崎■序列から言うと、ナンバー4…?

—— …… 最後に、これからの目標など教えてください。

村崎■とりあえずは、12月にダブル成人式をむかえるので、自分の楽曲を集めて自主制作でCDを作りたいな、と。12曲くらい入ってるやつ。
 そして、俺ってすごいじゃんっていうのを、もういちど見直そうかな、と(笑)。

English translation

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