Interview: Tadashi Ihoroi (2002-03-18) by Sega.jp

From Sega Retro

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Language: Japanese
Original source: Sega.jp: Creators Note


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セガのゲームを作る、あんな人、こんな人。

どんな人が、どんなことを考えて、セガのゲームは生まれるのか?

それぞれのクリエイターが持つ“こだわり”や“発想”、開発中に起きるエピソードなど、普段はなかなか聞けないことを、直接会って聞いてみよう! というこのコーナー。

第2回は、『ジェットセットラジオ』(Dreamcast)でアクションゲームジャンルに新風を巻き起こしたスマイルビットが放つ、硬派ゲーマー向け 新機軸アクションシューティング 『ガンヴァルキリー』(Xbox) のディレクションを務めた 五百蔵 容 氏にお話を伺いました。


五百蔵 容(いほろい・ただし)

(株)スマイルビット 企画部 シニアプランナー
『ガンヴァルキリー』 ディレクター

1969年生まれ AB型

■主な経歴

1993年にセガ入社。ゲームギアの『ソニック&テイルス』シリーズではプランナー、『ハンドレッドソード』 ではシナリオ、世界観の構築などを担当。『ガンヴァルキリー』 ではディレクターを務める。


—— 今日は五百蔵さんの子供の頃の話から 『ガンヴァルキリー』 まで、順々にお話を聞いていこうと思っています。そんな昔話の中で 『ガンヴァルキリー』 のルーツみたいなものが発見できればいいな、と思っています。

五百蔵■なるほど。

—— まずは小さな頃から話を聞いてみたいのですが、五百蔵さんはズバリどんなお子さんだったんですか(笑)。

五百蔵■好奇心旺盛な子供でした。
 親から「あれやっちゃいいけない、これやっちゃいけない」と言われなかったせいもあり、子供の頃は、よく死にかけましたね。それもほとんど自分が原因で死にかけました……。

ものごころついてない頃ですから、3歳頃だと思うんですが、親戚といっしょに毎年恒例の夏の淡路島に遊びに行ったんだそうです。
 家族で海を眺めていたら、何の前触れもなく俺が猛ダッシュで海にザバザバと入っていくんだそうです(笑)。おばぁちゃんが髪を振り乱して「死んでしまう〜!」って引き戻さなければ、止まる気配さえなかったそうで……。

—— なんでそんなことしたんでしょうね(笑)

五百蔵■覚えてないです(笑)。後から聞いた話ですからね。

それから、その淡路島の沖で石油タンカーが座礁して、海水浴ができなかった年があるんですね。その時は、何の前触れもなく海岸のコールタールづけの石をバクバク食い始めたそうです(笑)。

—— ちょっと変わった子供ですね(笑)。

五百蔵■これは変だな、面白そうだなって思ったら、すぐに手を出しちゃう。
 “高圧電流危険”って書いてたら触りに行っちゃったりとか……。

—— 触っちゃったんですか!?

五百蔵■触ってたら、ここにはいないよね。触る寸前で親に止められて、死ぬかと思うくらい怒られた(笑)。

—— (笑)

五百蔵■でも本当に危なかったのは、あの時かなぁ。

我々の世代の子供っていうのは共通の感覚として、とがって長いものを見たら、すべて飛行機かロケットに変換するっていうのがあると思うんです。ひとりっこなんで、そういうものを戦闘機に見立てて、ひとり遊びしているんですよ。

ある日、体温計を地球防衛軍に見立てて、自分は怪獣になりました……。 それで子供なりにシチュエーションを考えて遊んでまして、そのうち地球防衛軍をガブッて (ここで五百蔵さん、口に何かを入れるアクション) ……体温計食っちゃって、水銀飲んじゃったんですよね。しかも、その時、親は出かけていてかなりやばかったんです。

 でも、食った直後に運良く親が帰ってきて「キャー—!」って。当たり前ですが(笑)。

それでそのまま病院行って、俺はわけわからないのに大人に囲まれて、鼻からチューブを入れられました。水銀をすべて胃から出して、ことなきを得ましたが、まぁ、そういう子供だったわけです(笑)。


—— 副作用はないんですか(笑)。

五百蔵■ははは。中学、高校では、この話をすると 「だからか」 とか言われました(笑)。

—— その中学、高校時代はどんな少年だったんですか?

五百蔵■親の教育方針として、「何でもさせる」っていうのと「本を読むのもいいが体も動かせ」っていうのがあって、一方では図書館の本を端から順に読んでいきながら、もう一方では野球とか剣道もやってました。剣道の駆け引きが好きで、中学の時は主将だったんですよ。

ところが絶対に大丈夫だと思われていた高校に落ちましてね、家からかなりの時間がかかる私立の男子校に通うことになったんです。
 遠いので朝練には出れませんから、運動部はダメ。そうなると自然と文系のほうへ……。

—— 具体的にはどういった活動をしていたんですか?

五百蔵■絵をちいさい頃から描いていたんです。
 それで中学のとき、 『銀河鉄道999』 のアニメーターか誰かが、「アニメーターくらいになるには、月に1000枚の絵を描かなければダメ」って言ったのを真に受けて、実際に描いていたんですよ。月に1000枚(笑)。それを友達から借りた8ミリで動画にしてみたりね。
 そういうところに目をつけられて(笑)、ズルズルと引き込まれ、映画やアニメを作っていたんです。

—— 完成した作品にはどんなのがあるんですか?

五百蔵■1本目の作品はアニメーションで、夢の世界の話でした。
 女の子が朝起きて外へ行ったら交通事故にあったけど起きたら夢だった、みたいな感じですね。……でも、ちゃんとできたのは実はそれだけ(笑)。
 「おぉ、俺たち、つたないなりにちゃんと作れるじゃん」って思ったのが運の尽きで(笑)。

それ以降は、企画とか絵コンテまではスゴイのができるんだけど、最後までは完成しないというパターンでした。

—— ところで五百蔵さんは、少年時代をどこで過ごしたんですか?

五百蔵■横浜の保土ヶ谷です。山がちなところですね。
 山の上の方に住んでいたので、友達の家に行くにも、上に行ったり下へ行ったり……。それだけでも面白い(笑)。高低差がすごくあるんですよ。
 例えば公園も高台にあって、ボールを落とすと下に転がっていっちゃう。それで下を見てみたら、暗闇で犬のランランと光る眼だけが見えていて、取りに行くのやめたり……(笑)。

そういうところに住んでて、そういう空間が面白いっていうのがわかってるので、俺は高低が持つ魅力っていうのは外せないんですよ。
 体にしみついてる空間の感じ方、空間の把握の仕方は 『ガンヴァルキリー』 でも活かされているんじゃないかなぁ。

—— まずはセガに入社した経緯を教えてください。

五百蔵■ 『ハングオン』 が登場した80年代中頃は、セガに限らず、ナムコやカプコン、コナミのゲームはどんどん面白く、スゴクなっていって、ゲームが進化する過程を楽しめたんですね。
 例えば、 『スペースハリアー』 とか 『アフターバーナー』 がゲームセンターに登場すると、どんなものかもわからずにコインを入れてやってみるわけです。そしてわけもわからずゲームオーバーになるわけですが、セガはいつもとんでもないことをやるなと思いましたねぇ。
 それでそういうものも見てきたし、セガが一番チャレンジングな会社だったので、セガに入社したんです。

—— これまで、どういった作品を手がけてきたんですか?

五百蔵■RPG作りたいって言ってたんですが、面接時の元気の良さがその部署の部長に気に入られたみたいで、まずはゲームギアの部署に配属されたんです。そこではゲームギア用の (*1)『ソニック&テイルス』の1と2を作りました。プランナーとしてですね。

その後、サターンが始まるので、ゲームギアの自社内開発をやめるということになり、企画業務という、開発と生産とかの橋渡しをする部署に行ったんです。この経験が意外と良かった。要は両方の気持ちがわかるんです。開発、生産、営業のね。
 クリエイティビティを発揮すればいいもんじゃないってことがわかった。もっと最終ラインまで、それで最終ラインの向こうにお客さんがいて、全部トータルで考えることがいいものを作る条件だということがわかったんです。
 もちろん、それまでも頭ではわかっていたけど、ひと通り体験できたので体でわかることができた。これは得がたい体験でしたねぇ。

その後、PCの開発部に行って、バーチャファイターの1と2、サクラ大戦、そのデスクトップアクセサリーなんかを作りました。それでそろそろオリジナルを、という頃に……。

—— 今度はドリームキャストが登場するわけですね(笑)。

五百蔵■そうです。
 ドリームキャストには通信要素もあるから、やっぱりオリジナルを立ち上げなきゃ、ということで誕生したのが (*2)『ハンドレッドソード』 です。

—— そして最新作がXboxの 『ガンヴァルキリー』 ですね。

五百蔵■そうです。

—— 確か、はじめはドリームキャストで開発されていたんですよね?

五百蔵■ドリームキャスト版は移動はコントローラー、右手にはガンを持って遊ぶシステムだったんですよ。
 要は自然なんですよね。攻撃方向と移動方向を別々に分けてできるほうが絶対に面白いはずだし、多少独特な操作性になっても慣れたらすごく自然にできるだろう、と。

そこからPC版も検討され、最後はXboxが2本のスティックもあるし、窮屈じゃない形で作ることができそうだということになったわけです。

—— 開発期間はどのくらいだったんですか?

五百蔵■ドリームキャスト版スタートから、2年。実際は6ヶ月。この皿の中に入っているのは2ヶ月くらいです。

—— え!? 2ヶ月ですか?

五百蔵■0から作るオリジナルタイトルは試行錯誤の時間が必要なんです。
 しっくりとくるシステムを作り上げるまでが大変で、「これでいける!」ってなってからは速いですよ。もちろんスタッフみんなのおかげなんですが。

あ、それから新井さん(*1)。

なかなか落としどころが見つからなくて、みんながどんよりしているときに、「オリジナルっていうのはこういうものだ。俺はお前たちを信じている」って言ってくれたんです。これは心の支えになりましたね。

アロハ社長(*2)についてくぞ、って心から思いました(笑)。

—— 『ガンヴァルキリー』の、ブーストアクションで360度自由に動き回れるシステムはスゴイですね。

五百蔵■アクションゲームが好まれる傾向がある海外の人に色々と話を聞いてみると、アクションゲームは2Dから3Dになって面白くなくなったというんですよ。
 情報が多いし、あまりにも判断することが多すぎて、それに見合う快感がないって言うんです。確かにまっすぐ歩くだけでも大変ですよね。ノイズ(*3)が多いから。

そのノイズを吸収したり、整理できるシステムを考えなくちゃいけない。
『ガンヴァルキリー』の360度ブーストアクションで動き回れるシステムや、ぐるぐる見まわせるのは、そのシステムのひとつなんです。

—— あの空中を飛んでいる時の感覚って、言葉で表すとどんな感じって伝えたらいいんでしょうか(笑)。

五百蔵■うーん、難しいですね(笑)。

発想の原点は、映画やアニメとかに出てくる超人の表現なんですよね。
 ドラゴンボールにしても横山光輝の漫画に出てくる超能力者にしても、ガンガンガンガン、カクカク、っていうような直線的な、ソリッドな空の飛び方をするじゃないですか。
 360度、自分がイニシアチブを持って、空間を切り裂いていく感じ。 “超人感” かな(笑)。

 	—— 最後の質問になりますが、スマイルビットってどんな会社ですか?

五百蔵■スマイルビット(以下、スマビ)の作品はどれもゲーム性を重んじているんです。
 『サカつく』 『ジェットセットラジオ』 『ハンドレッドソード』 にしても、作り方はすごくソリッドで、きちんとしたことから考えるんです。まず大地を踏みしめることから始める。そういう意味でスマビには “カタさ” があると思います。もちろんいい意味でね。スマビ固有のカルチャーとして持っている。だから “スマビ買い” してくれる方々がいるんだと思っています。
 『ガンヴァルキリー』 はスマビでしか作ることはできなったし、この会社の一員になって良かったと思います。

—— もうひとつだけ。
五百蔵さんは次にどんなゲームを作ってみたいですか?

五百蔵■明確な物語性、キャラクター性があって、だからといってスタンドアローンで閉じてしまうのではなく、なんらかのコミュニティが発生するようなゲームですね。
 ゲームの中のユーザーが感じる経験や考え方が、ユーザーの人生に何らかのいい働きをするものであって欲しい。そのことで、他のプレイヤーたちとつながりができて、経験が増えていくような役割を果たせるものを作りたいです!